古代の歴史

ブラジルの「経済の奇跡」――メディチ政権下の高度成長とその光と影

「経済の奇跡」とは何だったのか

1960年代末から1970年代前半にかけて、ブラジルでは「経済の奇跡(ミラグレ・エコノミコ)」と呼ばれる高度経済成長が実現しました。年平均10%を超える成長率を記録したこの時期の成長政策を主導したのは、コスタ・エ・シウヴァ政権時代から財務大臣を務めていたアントニオ・デルフィン・ネットです。彼が掲げた政策の基本理念は、何よりもまず急速な経済成長を達成することにありました。

このいわゆる「奇跡」を引き起こした最大の要因となったのが、国外からブラジルへ流入した莫大な外国資本でした。

外国資本が戻ってきた理由

それまでのブラジルは、長年にわたり海外からの投資を受け入れられない状況に置かれていました。経済の不安定さ、インフレーション、ジャニオ・クアドロス政権期の政治的混乱、さらにジョアン・グラール政権による左派的で混乱の絶えない統治などが重なり、海外投資家の信頼を大きく損ねていたのです。

こうした状況の中で資金が再びブラジルへ戻ってきた理由は、軍事政権がもたらした政治的・経済的な安定にあります。政権は「左翼主義」を抑え込み、投資家にとって予測可能で安全な環境をつくり出しました。これこそが、大規模な資本流入への扉を開いたのです。

資本の流れと産業構造の変化

膨大な規模で流入した外国資本によって、民間企業と国営企業の双方が恩恵を受けることになりました。多国籍企業も相次いでブラジルへ進出し、これらの資源は主として工業部門に投入されました。

この時期には、労働集約型部門(資本の需要が小さく、労働力の需要が大きい産業)を基盤とするブラジルの民間企業が台頭しました。一方、進出してきた多国籍企業は、資本集約型部門(資本の需要が強く、労働力の需要が少ない産業)に活動を集中させました。さらに国営企業は、自らの資源を軍事、エネルギー、通信といった戦略的分野へと投じていきました。

国内外市場の拡大

急速な成長を定着させるために、国内市場と海外市場の双方での拡大が図られました。生産された製品はブラジル国民や第三世界の国々だけでなく、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国といった工業化された先進国にも受け入れられていったのです。

低賃金と抑圧という代償

ブラジルに進出した多国籍企業は、豊富な原材料と安価な労働力という二つの面で大きな利益を享受しました。政府は賃金を常に低水準に維持し、賃上げを求めるデモや労働運動に対しては暴力的な弾圧で応じたのです。

その一方で、政府は貧困層の収入を一定水準に安定させるとともに、中産階級や熟練した専門職の人々の所得増加を後押ししました。成長の果実は決して均等に分配されたわけではなく、階層ごとに異なる形でもたらされたのです。

本格的な工業化と残された課題

まさにこの時期に、ブラジルは具体的かつ本格的に工業化の道へと踏み出しました。しかしその一方で、この工業化プロセスには社会的な計画性が欠けており、結果として社会内の不平等をさらに深刻化させたことも否定できません。高度成長という輝かしい成果の裏側で、格差はむしろ拡大していったのです。「経済の奇跡」は、ブラジル近代史における偉大な飛躍であると同時に、その代償についても問い続けられるべき時代だといえるでしょう。