マヤ文明は、コロンブスが新大陸に到達する以前のアメリカ大陸における三大文明(マヤ・アステカ・インカ)の中で、最も謎めいた存在であり、おそらく最も古い文明とされています。メキシコ南東部からグアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス、エルサルバドルにかけて栄えたこの文明は、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に足を踏み入れた頃には、すでに衰退の一途をたどっていました。その原因は今なお完全には解明されていませんが、連年続いた戦争や、焼畑農業による土壌の疲弊と経済の停滞などが有力な説として挙げられています。
驚異的なマヤの暦とピラミッド
マヤ人は古代民族の中でも最高水準の暦を発展させました。実際には複数の暦を組み合わせた精巧な体系であり、歴史上の重要な出来事を記録するために用いられました。神殿ピラミッドの内部には出来事が刻まれ、特筆すべき出来事ごとに記念碑的な銘文が残されました。
有名なチチェン・イッツァのピラミッド(エル・カスティージョ)は、まさに巨大な暦そのものです。4面それぞれに91段の階段があり、合計364段。これに最上部の平台を加えると365となり、太陽暦の一年の日数とぴったり一致します。望遠鏡という道具を持たなかったにもかかわらず、天体に関する高度な知識を有していたこの文明の姿に、やって来たヨーロッパ人たちは深く感銘を受けたといわれています。
ピラミッドの役割 ― エジプトとの違い
古代エジプトにおいてピラミッドが君主の墓として建設されたのに対し、マヤのピラミッドは天文台としての役割を担っていました。浄化の儀式を終えた司祭だけが、これらの天文台である神殿へと登ることが許されていたのです。
ところが1952年、メキシコのパレンケにある「碑文の神殿」で、考古学者アルベルト・ルス・リュイリエが、床の中に土や石で完全に塞がれた螺旋階段を発見しました。3年間に及ぶ発掘作業の末、たどり着いたのは、石棺を備えた埋葬室でした。この墓からはパカル大王の遺体が見つかり、葬送儀礼の細部にはエジプトのそれと非常に類似した点が多く見られます。このことから、当時の考古学者の中には「エジプトから渡った冒険者が現地の人々の信頼を得たのではないか」という大胆な仮説を立てる者さえ現れました。
マヤ史の時代区分
歴史家たちは一般的に、マヤの歴史を次の二つの時期に分けて捉えています。
- 旧王国(前期):紀元前500年頃から紀元600年頃まで
- 新王国(後期):紀元600年頃からスペイン人の侵入まで
マヤ文明が現代に残した遺産
マヤ文明は独自の象形文字による記録体系を持ち、数学においては「ゼロ」の概念を独立に発明した数少ない文明の一つです。さらに正確な天体観測に基づく暦法、高度な建築技術、鮮やかな壁画芸術など、その知的・文化的達成は今日でも世界中の研究者を魅了し続けています。密林に佇むティカル、パレンケ、チチェン・イッツァといった都市遺跡は、現在ユネスコの世界遺産にも登録され、古代マヤ人の卓越した知恵を私たちに伝えています。