神経戦の始まり
紀元前149年、ローマとカルタゴの間に、緊張に満ちた神経戦が幕を開けました。ローマ元老院の態度は終始曖昧で、カルタゴ側を深い不安へと追い込みます。具体的な要求内容は一切明かされないまま、兵士の徴募だけが着々と進んでいったのです。
春になると、執政官(コンスル)マニリウスとケンソリヌスの指揮のもと、4個軍団がシチリア島へ派遣されました。さらに50隻の五段櫂船(クインケレメ)からなる艦隊が、彼らに続くべく準備を整えています。
ローマが警戒していたのはカルタゴだけではありませんでした。かつてのカルタゴ帝国の領土を自らの勢力圏へ組み込もうとするヌミディア王マシニッサの台頭も、無視できない脅威だったのです。とはいえ、軍備こそ整っていたものの、ローマにはまだアフリカにおける足場がありません。しかし、その足場はほどなくして見つかることになります。
ウティカの離反
カルタゴの北に位置する港湾都市ウティカは、それまで紛争の中で中立を保ち続けてきました。とはいえ、羨望の眼差しを向ける強大な隣国カルタゴに従属しているのは否めない事実でした。事態の悪化を見て取ったウティカは、このときローマへの帰順を決断します。以後、紀元前149年より、この地がローマ・アフリカ軍の司令部として機能することになりました。
人質300人の移送
カルタゴの服従を確実なものとするため、ローマ元老院は同市の最良の若者の中から300人の人質の引き渡しを要求しました。歴史家アッピアノスが詳細に記録しているように、少年たちの乗船の場面は痛ましいものでした。絶望のあまり叫び声を上げながら船にしがみつく母親たち。中には海へ飛び込み、我が子を乗せた船を長い間泳いで追いかけ続ける者さえいたといいます。
続いて、あらゆる武器と攻城兵器の引き渡しが求められます。さらに、まだ具体化されていない将来の指示にも従うことが条件として課されたのです。
明確な回答を求める使節団
武器輸送に同行する形で、祭司、行政官、高級将校らからなる大規模な使節団がウティカへ向かいました。カルタゴ側には、はっきりさせたい事情があったのです。いつになったら自由で平和な暮らしを取り戻せるのか。そもそもローマは一体何を望んでいるのか。
使節団は、前回の使節と同じ儀礼のもとでケンソリヌスに迎えられました。市門前に設営された小さな柵で囲まれた演壇から、二人の執政官が全体を見下ろす構図です。そして演壇へ続く道の両側には、武装した兵士たちによる厚い人壁が敷き詰められていました。