GRIBEAUVAL(Jean-Baptiste Vaquette de、1715年アミアン生まれ-1789年パリ没)は、フランス王国砲兵連隊に1735年に入隊した砲術の達人である。弾道学の研究を専門とし、各国ヨーロッパ軍の編制と火力について比較研究を行うなど、類まれな分析眼を持つ将校だった。
プロイセン砲兵の報告書が開いた国際的なキャリア
彼が提出したプロイセン砲兵に関する報告書は広く注目を集め、その才能は女帝マリア・テレジアの耳にも届いた。1757年、グリボーヴァルはオーストリア軍に招聘され、同国砲兵の指揮を委ねられる。やがてオーストリア元帥となった彼は、1762年にシュヴァイトニッツにおいてフリードリヒ2世(大王)の軍勢に対して2か月間にわたり踏み止まり、その防衛戦で名声を確固たるものにした。
帰仏後の栄達と砲兵総監への就任
七年戦争の終結後に釈放・帰還すると、ルイ15世は彼を元帥に、続いて1765年に中将に任じ、さらにサン・ルイ勲章グランクロワを授与した。そして1776年からは、ルイ16世によって砲兵総監(砲兵監察官)に任命された。この要職において、グリボーヴァルは長年の経験を存分に発揮する。野戦用砲兵と攻城用砲兵を明確に区別し、火砲の口径を見直すとともに、牽引・運用の機動性を高める改革を実施したのである。
ヴァルミーからナポレオン帝国へ受け継がれた火力
こうした改革の成果により、旧体制末期から革命初期にかけてのフランス砲兵は、ヨーロッパで群を抜く最強の存在となった。その優位性はヴァルミーの戦いやジェマップの戦いで実証され、以降の一連の戦役でも維持され続けた。統領政府期、そして帝政期には、ナポレオン自身が活用することになる圧倒的な火力の基盤が、ここに築かれていたのである。19世紀前半には、ヨーロッパ各国の軍隊がこぞって自国の砲兵をグリボーヴァルの規範に適合させた。
規格化という技術革命
しかしこの卓越した研究者の業績は、大砲にとどまるものではない。武器に関わるあらゆる事象に関心を寄せた彼は、1777年には早くも、小銃の部品を「規格化」された材料で鍛造することを提唱した。それまで部品は、焼き赤めた金属を手作業で打ち延ばして製造されており、当時としてはまさに画期的な技術革命だった。この新手法によって小銃部品の品質は向上し、装備の均質化が実現して、部隊全体の戦闘効率は飛躍的に改善されたのである。