古代の歴史

エルヒンゲンの戦い(1805年10月14日)――ネイ元帥が橋を奪還した激闘

エルヒンゲンの戦い 1805年10月14日

1805年10月14日。この日、フランス軍の進撃は、ウルムに主力を置くマック将軍率いるオーストリア軍の包囲網をほぼ完成させることとなった。

エルヒンゲンの戦い(1805年10月14日)――ネイ元帥が橋を奪還した激闘

当初、ナポレオン自身は作戦の直接指揮を執っておらず、その副官ムラトが重大な過ちを犯しかけていた。彼はネイをドナウ川右岸へあまりにも深く進ませ、デュポン師団を孤立させてしまったのである。デュポン師団はハスラッハにおいて圧倒的に優勢な敵軍と交戦することになり、部下たちの奮戦によってようやく壊滅を免れた。

皇帝が到着したのは10月13日のことだった。アルベックへ後退したデュポン師団と、ドナウ川対岸ギュンツブルク方面にあったネイ軍団との間に残された広大な隙間へ、オーストリア軍が侵入しつつあることを知るや、ナポレオンは直ちに激怒した。

エルヒンゲンの橋と村はすでに敵の手に落ちており、ボヘミアへの道はオーストリア軍に開かれている。しかもこの道はフランス軍の背後に通じているのだ。何としてもこの道を断たねばならない。

ムラトはネイを責めた。命令に従わざるを得なかったとはいえ、当初から反対意見を持っていたネイは憤慨する。しかし彼は、この損害を見事な形で挽回することになる。

1805年10月14日 午前8時

ネイ元帥は正装に着替え、勲章をすべて身につけていた。「赤面(ル・ルージョー)」の異名を持つ男は、怒りに燃えていた。彼は川の右岸、エルヒンゲンの橋の前に到着する。橋の枕木は取り外されていたが、多くはまだドナウ川の中に残され、橋脚や岸辺に打ち捨てられていた。幸い、先頭のヴィラット旅団を率いていたヴィラット将軍が、あらかじめ板材を運ばせていた。対岸では、リーシュ将軍のオーストリア軍団が、谷を見下ろすエルヒンゲンの村を絶えず通過中であった。橋を守るのはわずか300名と大砲2門だけだった。

ネイはただちに橋の修復を指示し、砲兵隊が作業を援護した。カイユ大尉に鍛えられた第6軽歩兵連隊のヴォルティジュール(散兵)が梁の上を渡り切り、続いて同連隊のカラビニエ、そして第39連隊の擲弾兵が続いた。これら精鋭たちは瞬く間に橋の出口を確保したのである。

枕木は猛スピードで敷設され、元帥は直ちにヴィラット旅団の全兵力を率いて渡河すると、最初の砲台を設営し、第6軽歩兵連隊を村へ、第39連隊をさらに右翼の聖ヴォルフガング礼拝堂方面へと突入させた。

一方、リーシュ将軍はこの強行渡河を目の当たりにして行軍を停止し、部隊を再編成して戦闘態勢を整えた。

午前9時

第6軽歩兵連隊は村の縁全体を制圧したが、第39連隊は思うように進まず、森の陰で再編成を余儀なくされた。ロワゾン師団長は第二旅団(ロゲ旅団)を渡河させた。先頭は第69連隊、続いて第76連隊であり、両連隊は高地へと登攀していく。まもなく、軍団の軽騎兵旅団――第1猟騎兵連隊と第3軽騎兵連隊からなる部隊――もこれに加わる。その先頭には、旅団を指揮するコルベール大佐(第10猟騎兵連隊出身)がいた。

高地は確保されたものの、フランス軍の右翼が脅かされ、ネイはコルベールに突撃を命じた。第3軽騎兵連隊はオーストリア胸甲騎兵の攻撃を受けた。軽騎兵を指揮するドモンは負傷し、乗馬も撃たれた。しかし猟騎兵たちが敵を一掃し、旅団は再集結に成功する。ここにブルシエ師団、とりわけ真っ先に到着したラプランシュ旅団の竜騎兵たちが戦列に加わった。

橋を最初に渡ったのは、ルフェーヴル=デヌエット大佐が指揮する第18竜騎兵連隊である。高地に到達した彼らは、軽騎兵たちの再集結を目撃した。前方では、オーストリア軍が方陣を組み、胸甲騎兵の密集隊形に守られていた。ブルシエ将軍は突撃を下令し、ラプランシュ将軍とルフェーヴル=デヌエット大佐が先頭に立った。方に立った。方陣は突破され、軍旗1本と大砲2門が鹵獲された。連隊はそのまま突き進み、胸甲騎兵を蹴散らして50名を捕虜にするか討ち取った。

この間、ロゲ旅団は機動も攻撃も完璧に遂行していた。次に武勲を挙げたのは、コランクール大佐指揮下の第19竜騎兵連隊である。第18連隊に続いて橋を渡ると右方向へ展開し、退却中のオーストリア歩兵縦隊を発見した。竜騎兵たちは突進し、ピタール中尉が敵歩兵と隣接する森の間に割り込んで退路を断った。250名が武器を捨てて降伏したのである。副官ファローも、鹵獲した大砲を自ら照準・発射して功績を立てた。さらに先へ進むと、連隊は敵胸甲騎兵4個中隊を発見。最初の中隊のみで敵に迫り、馬20頭を奪取した。

その後、ネレステッテン方面へ移動中だった連隊は、突然の襲撃を受ける。夜が迫る中、奇襲は完全に成功し、連隊は包囲されたが、新たな敵騎兵の大群に至るまで行軍を続けた。退却が必要となった際、将軍の報告書によれば、それは秩序を保ち、乱れることなく行われたという。これは将校と竜騎兵たちの勇気と沈着さと同じほど、コランクール大佐の才覚によるものであった。

ブルシエ師団の他の連隊は主に支援任務に就き、この日の勝利に多かれ少なかれ貢献した。同様にマレール師団も、主に予備としての役割を果たしている。

こうしてこの日の勝利の栄誉は、コルベールの騎兵たち、第18・第19竜騎兵連隊、そしてもちろん、疲労困憊の極限まで戦い抜いたロワゾン師団の歩兵たちに帰せられる。彼らの将軍が夜にネイ元帥宛てに書いた手紙は、こういう言葉で締めくくられている……「弾薬とパンとブランデーをください。……そうすれば、我々は生き返ります」