19世紀ロシア文学におけるプーシキンの地位
アレクサンダー・プーシキンは、19世紀ロシア文学においてロマン主義を代表する存在です。古典主義の作家ガヴリーラ・デルジャーヴィン、そして感傷主義(センチメンタリズム)の流れを担ったニコライ・カラムジンらの後を受け継ぎながら、ロシア文学に新たな地平を切り開きました。
古典主義からの脱却と「自由の詩人」へ
詩人であると同時に優れた散文作家でもあったプーシキンは、古典主義の既成の規範を打ち破り、「自由の詩人」としての立場を確立しました。革命への希望が高揚していた19世紀初頭、とりわけ1825年のデカブリストの乱に象徴される激動の時代にあって、彼自身もその精神を共有し、詩人としての自由を力強く主張しました。
その思想は、代表作の一つである詩「自由」に色濃く表れています。さらに、1836年に発表した『大尉の娘』では、虚構と歴史を自在に融合させるという大胆な手法を用い、自由な創作者としての姿勢を実践的に示しました。
歴史に根ざした作品『ボリス・ゴドゥノフ』
戯曲『ボリス・ゴドゥノフ』もまた、ロシアの歴史に深く根ざした作品です。王位継承者が模索された「動乱の時代」(スムータ)を舞台に、権力と民衆の関係を描き出しており、ロシア史に対するプーシキンの深い関心を物語っています。
追放の歳月と決闘による死
しかし、1825年のクーデター未遂を擁護する内容の著作を発表したことが原因となり、プーシキンは追放の身となります。それでも彼は創作の筆を断つことなく、過酷な環境の中でも書き続けました。1837年、わずか37歳という若さで、決闘によってこの世を去りました。
ロシア文学の黄金時代と後継者たち
プーシキンは、1810年代から1840年代にかけてのロシア文学の黄金時代を体現する存在です。現実をありのままに描き、社会批判の手段とする「自然派」と呼ばれる戦闘的文学の登場に先立ち、その土台を築き上げました。プーシキンと親交の深かったニコライ・ゴーゴリがロシア文学を引き継いで成功を収め、その後にはドストエフスキーやトルストイといったリアリズムの巨匠たちが続々と登場していきました。