古代の歴史

第二帝政の成立 ― ナポレオン3世と帝国の台頭

1852年憲法と権力の集中

ナポレオン3世が1852年1月14日に制定した憲法は、その多くを第一執政時代の「共和暦8年憲法」(1799年)に負っていました。この憲法の下では、男子普通選挙が復活したものの、行政権はすべて国家元首の手に集中されることになりました。

元首には、法律の起草を担う国務院(コンスイユ・デタ)の議員や、帝国の恒久的な構成機関として置かれた元老院(セナ)の議員を任命する権限が与えられていました。一方、立法府も男子普通選挙によって選出されましたが、法案提出権(発案権)は持たず、すべての法律は行政部から提案される仕組みでした(ただし、議会による採決自体は必要とされていました)。この政治体制の変革は、たちまちブリュメール18日のクーデターと同じ帰結をもたらすことになります。

国民投票による帝政の復活

そして1852年11月21日、フランス国民は国民投票(プレビシット)において、ルイ=ナポレオン・ボナパルトに皇帝の地位を回復させる元老院令(セナトゥス・コンサルトゥム)を承認しました。結果は賛成782万4,000票に対し、反対はわずか25万3,000票(棄権約200万票)という圧倒的なものでした。

こうしてルイ=ナポレオン・ボナパルトは「皇帝ナポレオン3世」として即位し、ここに第二帝政が正式に幕を開けたのです。