古代の歴史

コンゴ危機の根源――ヨーロッパの誇りだった植民地主義が残した傷跡

1960年代、アフリカを震撼させた激動

1960年代、コンゴとナイジェリアで相次いだ劇的な出来事は、世界中の新聞の第一面を飾りました。多くのヨーロッパ人は、これらの紛争を「アフリカ人には自ら国を統治する能力がない」ことの証拠であるかのように受け止めました。
しかし、この見方は表面的なものにすぎません。危機の真正的な根源は、ヨーロッパ人が長らく誇りとしてきた植民地支配の歴史そのものの中にこそあったのです。

コンラッドが描いた「闇の奥」のコンゴ

コンゴの植民地化以前の姿と、初期ヨーロッパ人の横暴については、ジョセフ・コンラッドが小説『闇の奥』(原題: Heart of Darkness)の中で鮮やかに描き残しています。彼は生き生きとした筆致で、交通の便がなく果てしなく広がるコンゴ内陸部の遠隔性、地下に眠る豊富な天然資源、そして最初期に入植してきたヨーロッパ人たちの貪欲さを刻画しました。

事態が決定的な転換点を迎えたのは、奴隷貿易によってすでに疲弊していたコンゴが、30年間にわたりベルギー国王レオポルド2世の私有財産とされたときです。1885年のベルリン会議以降、「コンゴ自由国」と呼ばれたこの広大な領土は国家ではなく国王個人の所有物であり、ゴム採取などを目的とした苛烈な収奪が住民たちを苦しめました。

1908年、ベルギー国家への移管――それでも変わらなかった現実

1908年、国際世論の批判にさらされたレオポルド2世は、ついに植民地帝国をベルギー政府へ譲渡することを余儀なくされます。ところが、この統治主体の変更によって、コンゴの人々が何らかの恩恵を受けることはありませんでした。
なぜなら、植民地化の最初期から、現地の人々の土地はことごとく奪い取られ、厳格きわまる強制労働制度が敷かれていたからです。宗主国が変わっても、搾取の構造そのものはそのまま引き継がれたのです。

消えていった人々、荒れ果てた大地

こうした過酷な支配の結果、コンゴの人口は劇的な減少を被りました。かつて人口稠密で繁栄を誇っていた地域の数々は、次第に人影まばらな荒涼たる土地へと変わっていったのです。
1960年代の政治的混乱を単なる「統治能力の欠如」と片付けるのではなく、その背景にある数十年に及ぶ植民地支配の重压を見据えることこそ、この歴史を正しく理解する鍵となるでしょう。