古代の歴史

包囲網は固められ、夜明けを待つ――イア・ドランの戦い

防御態勢の再編と待望の補給

包囲網は固められ、夜明けを待つ――イア・ドランの戦い

1965年11月14日、ベトナム戦争初の本格的なヘリボーン戦闘となったイア・ドラン渓谷の戦い。着陸地点「Xレイ」では、午後5時から7時にかけて、ハロルド・ムーア中佐が防御態勢を可能な限り緻密に組み直していた。防御砲撃と迫撃砲の射撃は綿密に調整され、万一の際の最終拠点として、2機のヘリコプターが収まる規模の予備着陸地帯が選定された。

不整地へのヘリコプターや空挺部隊の誘導を主任務とする第229航空大隊のパスファインダー班は、爆薬を用いて着陸区域を塞ぐ樹木を撤去し、夜間用の照明信号を設置していった。作業の間、彼らは敵の砲火に絶えずさらされたが、損害ゼロで任務をやり遂げた。

その頃、周囲では疲弊しきった騎兵たちが、伏射用の銃座となる窪みを掘りながら、配給のジャムを舐めてわずかな水分を補っていた。そんな彼らを力づけたのは、ブラウン大隊長が約束どおり第2大隊B中隊が姿を現したことであり、午後7時15分には弾薬、水、衛生材料、食糧からなる補給物資が到着した。続いて作戦参謀が火力調整官2名を伴って着陸したが、この日の空輸はここで終了となった。分厚い煙と闇の帳の下、第7騎兵連隊第1大隊の残存兵力は、敵の次なる一手を静かに待ち構えていた。

孤立したサヴェージ小隊の死闘

孤立したサヴェージの小隊は、もはや一歩も動ける状態になかった。彼は無線で砲兵射撃を、自陣から数ヤードという至近距離まで精密に誘導した。わずかな誤差も許されない極限の弾着誘導であり、この結果、支援砲兵の第21砲兵第1大隊は、サヴェージの防衛円の正確な位置を把握するに至った。

山腹の約300メートル上からベトナム軍がラッパを吹き鳴らすと、アメリカ兵たちは新たな突撃の予兆を感じ取った。北ベトナム兵の話し声が聞こえたサヴェージは、照明弾で地形を照らしながら15分間の航空攻撃を呼び寄せた。敵はいくらか後退したものの、照明の光は逆に小隊の位置を暴く結果となり、およそ1時間後に仕掛けられた猛烈な突撃を、アメリカ兵たちは必死に撃退しなければならなかった。

11月15日――夜明けの救出作戦

敵は主力の防衛円に対しても攻勢を試みていた。北ベトナム軍第66連隊第8大隊が戦場に到着し、苦戦する友軍の救援に回っていたのである。

11月15日の夜明けとともに、ムーア中佐は各中隊長を召集し、サヴェージ小隊を切り離して救出するための準備を指示した。あわせて、防衛円の周囲200メートルにわたる徹底した地域捜索も命じた。

しかしその時、アメリカ兵たちは知らなかった。敵が夜の間に砲火の下を這い進んでさらに接近し、前哨線と直接接触する距離まで迫っていたことを。開けた場所へ最初の一歩を踏み出した騎兵たちは、激烈な十字砲火に迎え撃たれた。倒れた者を助けようと駆け寄った数名の兵士も、今度は自らが弾丸に倒れた。こうしてわずか数秒のうちに、C中隊長と麾下の2名の中尉が、40メートル足らずの距離から浴びせられる機関銃火によって重傷を負ったのである。