防御線を襲う激しい砲火

1965年、ベトナム戦争における初の本格的な正面衝突となったイア・ドランの戦い。中央高地の着陸地点「X-RAY」では、ムーア中佐率いる第7騎兵連隊が北ベトナム軍との攻防を繰り広げていた。
C中隊の左翼に展開していたD中隊が攻撃を受けると、防御円陣(ペリメーター)に降り注ぐ砲火はさらに激しさを増し、午前7時45分には着陸地帯全体がロケット弾、迫撃砲、自動小銃による集中射撃に覆われた。これに対し第7騎兵連隊は全力の火力で応戦し、敵側に甚大な損害を強いた。しかし午前7時55分には事態が極めて危険な水準に達したため、ムーア中佐は各小隊に対し、彩色煙幕で自らの位置を示すよう命じた。
これは当然ながら北ベトナム軍にも味方の陣地を明かす結果となった。だがより重要なのは、味方航空機のパイロットたちにも自軍の位置を知らせられた点である。パイロットたちは爆弾とナパームによる支援攻撃を、友軍陣地ぎりぎりの至近距離で敢行した。あまりにも接近していたため、その一部は誤って弾薬集積所付近にまで落下したほどだった。
一方、北ベトナム軍は集中配備されていた迫撃砲を標的に定めており、すでに数門を破壊していた。ムーアには選択の余地なく、ブラウン旅団長に対し、さらにもう1個中隊の派遣を再度要請せざるを得なかった。午前9時10分、第2大隊のA中隊は激しい砲火の中を着陸すると、同じ大隊のB中隊の延長線上へと進み、防御線の強化を図った。
空からの猛爆が実を結ぶ
午前10時頃、ついに航空機と地上から浴びせ続けられた何トンもの砲弾・爆弾が効果を現わし始めた。敵の圧力は妨害射撃程度にまで弱まり、戦場にひとときの静寂が戻ったのである。この小休止の間に、騎兵たちは弾薬の補給を行い、負傷者を救護所へ搬送し、次なる攻撃に備えて待機態勢を整えることができた。
幸いにも、第5騎兵連隊第2大隊は戦場までの3キロの道のりを踏破し、軽微な抵抗を排除した後、正午には着陸地点X-RAYへ到着した。これにより現地の戦力は9個中隊に増強されたが、そのうち4個中隊はすでに大きく消耗し、戦闘継続能力を著しく損なわれていた。
孤立した小隊の救出作戦
ムーアは、到着したばかりの大隊指揮官R・B・タリー中佐とともに状況を再検討した。最優先課題は、朝の出撃の失敗によって孤立してしまった小隊の救出であった。道順を知っているのは第7騎兵連隊第2大隊B中隊の兵士たちだけだったため、彼らが先頭に立ち、午後1時15分にタリー一行を「サヴェージ」の位置へ向けて出発させること、そしてタリーのA・C両中隊がこの作戦を後押しすることが取り決められた。
おそらく敵の注意をタリー部隊から逸らす目的で、ムーアは防御円陣の周囲で新たな出撃を組織すると同時に、防御線内部でも捜索を実施し、敵の浸透に備えた。兵士たちは血に染まった草むらを進み、白蟻塚の陰に幾重にも積み重ねられた敵の死体を目にした。そこには、朝の敗走の末に、敵の死体に囲まれて横たわる米兵の姿もあったのである。