古代の歴史

「米軍100万人でも100年かけても落ちない」——タラワ島ベシオ、日本軍最強の要塞

「米軍100万人でも100年かけても落ちない」——タラワ島ベシオ、日本軍最強の要塞

太平洋の小島に築かれた難攻不落の要塞

ギルバート諸島のタラワ環礁に位置するベシオ島では、日本軍による陣地構築が1年以上にわたって続けられていた。ここにはギルバート方面の日本軍司令部と、諸島唯一の飛行場が置かれ、さらに驚異的なまでの防御施設が積み重ねられていたのである。

島の大きさは全長5キロ、幅は最大でも500メートルほど。しかしその海岸線一帯には、半ば土中に埋め込まれた砲座、ブロックハウス、そしてトーチカ(コンクリート製の機関銃掩体)がぎっしりと張り巡らされていた。島内では、滑走路の建設で残された空き地にも物資庫や地下壕が縦横無尽に掘られ、無数の抵抗拠点を形成していた。

これらの陣地の大部分は鉄筋コンクリート造りで、その上にココヤシの幹の層と砂を幾重にも被せてあり、艦砲射撃の弾丸にも耐えうる強度を誇っていた。

柴崎少将が率いる守備隊の戦力

タラワの防衛を担ったのは、第3特別根拠地隊を指揮する柴崎恵次海軍少将である。彼の指揮下には、同部隊の将兵1,122名と、佐世保第7特別陸戦特別陸戦隊(しばしば誤って「日本海兵隊」と呼ばれる)の海軍陸戦隊員1,497名があった。

さらに、経験豊富な歩兵・砲兵に加え、建設部隊出身の作業員2,000名以上(大半は朝鮮半島出身者)の支援も期待できた。歩兵の火力に加えて、80ミリから203ミリ口径に及ぶ20門以上の沿岸砲、25門の野戦砲、軽戦車7両、そして大量の機関銃が配備されていた。

柴崎少将は自らの防御体系に絶対的な自信を抱いており、「米軍100万人が攻めてきても、100年かけてもベシオを落とすことはできない」と豪語したと伝えられている。

米軍側の作戦指揮体制——「ガルヴァニック」作戦

一方、この作戦の総責任者に任命されたのはニミッツ提督だった。彼は終戦まで使用されることになる水陸両用部隊を直ちに編成し、スプルーアンス中将に「ガルヴァニック」作戦全体の責任を委ねた。

合同遠征部隊の指揮はターナー少将が執り、二つの主要目標のうちの一つへの攻撃を率いることになった。もう一方のタラワ攻略部隊はヒル少将が指揮し、第5水陸両用軍団に配属された全地上部隊は、海兵隊のスミス少将の指揮下に入った。

三つの攻略目標と第2海兵師団

情報報告と利用可能な戦力を綿密に検討した結果、「ガルヴァニック」作戦の目標は三つの環礁に絞られた。不可欠な飛行場を有するタラワ、マーシャル諸島に近接しているマキン、そしてギルバート諸島付近に航空基地を設営できるアベママである。

航空機と潜水潜水艦による偵察の結果、最も攻略が困難なのはタラワであることが判明したため、ターナーとスミスはこの目標を、唯一実戦経験を持つ部隊——第2海兵師団——に託すことにした。同師団は主にガダルカナルの戦いを生き抜いた古参兵と、ニュージーランドで最高度の訓練を受けた補充兵によって構成されていた。彼らの標語は「発進した攻撃は止まらない」だった。

マキンの攻略には、訓練不足の第27歩兵師団第165歩兵連隊が当てられた。また、日本軍の防備が手薄であることが知られていたアベママに対しては、第5軍団所属の海兵隊1個中隊が攻撃を行う予定だった。

珊瑚礁越えという新たな課題とLVT

「環礁の戦い」において考慮すべき新たな要素があった。それは、島々を取り囲む珊瑚礁の横断である。鋭利な珊瑚礁の浅瀬を数百メートルにわたって突破し、海上からの攻撃を成功させるには、装軌式水陸両用車両——LVT(Landing Vehicle, Tracked)、通称アムトラック——の使用が不可欠だった。それまで輸送用として使われてきたこの車両を、第2海兵師団は75両保有していた。

厳重に守られた機密

作戦の秘密は徹底して守られた。10月末にウェリントンを出港した際、第2海兵師団の将兵の大半は自分たちがどこへ送られるのかを知らず、その答えを知ったのはすでに洋上に出てからだったのである。