
待機を強いられた3か月間
実のところ、ロイ・アーカート少将率いるイギリス第1空挺師団は、ノルマンディー上陸作戦には参加していなかった。同師団はイングランドに留められ、予備兵力として待機を続けていたのである。その後の3か月間、アーカートと部下たちは数多くの作戦を計画したが、天候不良で中止になったり、実行不可能と判断されたり、そして何よりも多かったのは、装甲部隊の快進撃によって作戦自体が不要となったケースだった。結局、一つとして実施されることはなかった。
こうした経緯は将兵たちに失望感をもたらしていた。さらに追い打ちをかけたのは、ライバルである第6空挺師団がノルマンディーで華々しい戦果を上げていたことである。こうして第1空挺師団の兵士たちは、自らを「何事にも準備万端だ」と宣言するようになった。
アイゼンハワー最高司令官は、副官のバッチャー大尉にこう語っている。
「イギリス人は、自国の空挺師団に最も困難で危険な任務を与えてくれと頑なに主張するのだ」
アーネムの橋は「君たちのために取っておいた」
彼らの願いは叶うことになる。作戦目標が示された瞬間、アーカートはすぐに察した。軍団司令官ブラウニング中将の説明によれば、アメリカ第101空挺師団はアイントホーフェン北方に降下し、同市と、フェヘルのAA運河およびズイト・ウィレムス運河に架かる道路・鉄道橋4本、セント・オーデンローデのドンメル川の橋、ソンのウィルヘルミナ運河の橋を確保する。また、第82空挺師団には、グラーヴェのマース川の橋とナイメヘンのワール川の橋の奪取が課されていた。
そしてブラウニングは、手を大きく振りながら最後にこう告げた。アーネムの橋は君たちのために取っておいた。これを奪取せよ――そして、と付け加えた――保持せよ、と。
史上最大級の空挺作戦「マーケット・ガーデン」
そこでは「マーケット・ガーデン」のコードネームのもと、史上かつてないほど大胆な空挺作戦が準備されつつあった。「マーケット」は空挺部隊による航空作戦を、「ガーデン」は地上部隊(イギリス第2軍)が実施する進撃を意味していた。立案に与えられた時間はわずか6日。しかも、容易な作業では決してなかった。
立ちはだかる二つの難題
アーカートの師団には、二つの重大な障害があった。第一に、利用可能な輸送機の数が限られていたこと。第二に、アーネム周辺の対空砲火(フラック)があまりに強力なため、橋の至近距離やその両岸への降下は論外だとする見方が一般的だったことである。
輸送機の優先権は――追加の空輸力を求めるアーカートの要請に対し、ブラウニングが指摘したとおり――アメリカ軍に与えられなければならなかった。マース川とワール川の橋をアメリカ軍が先に確保できなければ、アーネムの橋を奪っても無意味だからである。このため、アメリカ2個師団の落下傘兵は一挙に空輸される一方、イギリス軍はアーネムへ3回に分けて、1日ずつ間隔をあけて降下することになった。
3分割がもたらす危険
師団を三つの梯団に分けることには、きわめて大きな危険が伴った。第一波の将兵は、橋の確保と並行して、後続部隊の着陸地帯の防衛も担わねばならない。仮に第一波が奇襲に成功しても、敵には後続部隊が到着するまでに態勢を立て直す時間が与えられてしまう。
これらの危険を避けるため、同一日にもう一度輸送機を飛ばす案が出された。しかし航空当局は、両任務の間に機体の整備、敵射撃による損傷の修理、乗員の休息に必要な時間が確保できないとして拒否した。続いて、初回の任務を夜間に行うのはどうかという提案もなされた。これもまた却下された。輸送機の大多数を占めるアメリカ人乗員が夜間飛行の訓練を十分に受けておらず、シチリアとコタンタン半島で夜間作戦を試みた二度の経験が、いずれも散々な結果に終わっていたからである。
成功を左右する三つの要素
こうして、昼間に時間差を置いて連続降下するという原則を受け入れるほかなかった。イギリス軍の成否は、三つの要素にかかっていた。すなわち、当該地域に存在するドイツ軍戦力の規模、奇襲の効果、そして降下地点の適切な選定である。
ノルマンディーにおける第6空挺師団の戦いは、目標の真上かその至近距離に降下することの利点――必要性さえ――を証明していた。ギャビン准将の助言もまた妥当なものとして受け入れられた。「着地時に損害を受けてでも目標の真上に降りるほうが、地面についてから目標へ戦いながら向かうよりも、概して良い」
とはいえ、イギリス第1空挺師団自身、シチリアで降下地点の選定ミスにより甚大な損害を被っていた。それだけにアーカートは、オランダでは可能な限り多くの部下を「即時行動できるよう集結した状態で」着地させたいと切望していた。ましてや「最寄りの味方部隊から約100キロも離れた」戦場では、なおさらであった。
イギリス空軍の懸念
さらに、この方面を幾度も偵察したイギリス空軍(R.A.F.)は、ルール工業地帯へ向かう爆撃機から得られた印象を裏付ける形で、アーネム地域の対空砲火の密度は高く、橋の至近距離への降下は考慮すらできないと主張した。
だが、もう一つの危険も存在した。扱いにくく無武装のグライダー曳航機が深く侵入しすぎれば、イングランドへ帰還する前に北進して敵飛行場上空の、より激烈な対空砲火地帯に踏み込むか、あるいは南進してナイメヘン地域でアメリカ軍の曳航機群と遭遇する恐れがあったのだ。