以下は、第一次インドシナ戦争末期、1954年のディエンビエンフー攻防戦におけるベルヴェデーレ周辺の戦闘を綴った従軍記録の一節である。
「ガンドエ渓谷」の突破
第9中隊の左翼では、第11中隊を指揮するジョルディ中尉が、リオ・セッコ川の対岸に、前日ガンドエ少佐とともに発見し、すでに「ガンドエ渓谷」と呼ばれていた裂け目の入り口を確認した。それは断崖を貫く煙突状の岩壁だったが、幸いにも両側の岩肌が身を隠すのに格好の場所となった。ジョルディはその裂け目へと分け入り、麾下の各小隊を一つずつ引き寄せるようにして奥へ進ませていった。
急峻な高低差ゆえに登攀は過酷を極めた。兵士たちはたちまち疲れ果て、武器や追加弾薬、さらには戦闘の火力源となる迫撃砲弾まで背負わされ、まるで駄獣のような姿と化していった。
夜明け、目標は目前に
夜明けとともに一行は開けた地形へと抜け出た。ジョルディは、次第に明けていく眼前の地平線の中から攻撃目標を見定めようとした。目標は、もう手の届く距離にあった。ちょうどその頃、ガンドエ少佐が差し向けた予備の第10中隊から二個小隊が合流した。
そのうちの一個小隊を指揮していたのはブアカズ少尉である。彼は、夜のうちに訃報を聞いた親友エル・ハディの友人だった。彼には、大隊の目標であり一目でそれとわかる堂々たる尾根862の手前に位置する、「無名」と呼ばれる岩峰が示された。
「無名」の岩峰での犠牲
ブアカズ少尉はただちに、真っ先にそこへ辿り着く栄誉を主張した。そのために彼は、まず迂回機動によって「無名」の岩峰に足場を築こうとした。しかし、すでに警報は発せられており、防衛側も万全の警戒態勢を敷いていた。トーチカは手榴弾で制圧しなければならない激戦の中、ブアカズ少尉は「無名」の岩峰に足を踏み入れた瞬間、戦死した。
この喪失はかえって散兵たちを奮い立たせた。彼らは、真っ先に頂上へ立つと誓っていたブアカズ少尉の遺体を担ぎ上げ、862高地への突撃を開始したのである。