首都マドリード、政府の混乱
首都で何が起きているのか。政府にはパニックが走り、街は無秩序に陥っていた。カサレス・キロガ内閣は退陣に追い込まれ、後を継いだマルティネス・バリオ内閣は各党間の和解政策を試みた。しかし人民戦線側は穏健路線に耳を貸そうとしない。そこでアサーニャは権力を左派共和派のホセ・ヒラル・ペレイラに委ねた。ヒラルは懸念を抱きながらも、カタルーニャでコンパニスが先に行ったのと同じように、民衆への武装を決断する。12の徴兵年次が動員されたのである。
これは疑いなく必要な決断ではあったが、やがて過剰な行為を招き、極左への傾斜と、正規の権力機構に代わる革命組織の台頭を一層加速させることになる。実際、市の行政はU.G.T.(労働者総同盟)の手に引き継がれていった。軍隊についてはどうだろう。熱意をもって構想されたその「民主化」は、かえって軍の実効性を損なう結果となったのである。
トレドの悲劇――アルカサル包囲戦
トレドで起こった出来事は、スペイン内戦中最も劇的な場面の一つとなる。ヤグエ将軍率いる部隊がトレド市前に到着すると、共和派側は激しい抵抗を見せた。しかし悲劇の核心は、主にアルカサル(要塞)で展開される。そこにはホセ・モスカルド・イトゥアーテ大佐に率いられた士官候補生たちが籠城していた。人数こそ多くなかったものの、守備隊には約500名の治安警備隊(グアルディア・シビル)、100名余りの将校と兵士が含まれていた。さらに民間人の姿もあった――技師、医師、老婦人、そして子供たちである。
共和派の歩兵と砲兵による猛攻撃にもかかわらず、アルカサルは頑として降伏を拒み続けた。この抵抗に業を煮やした共和派は、ついに感情的な脅迫という手段に訴える。モスカルド大佐の息子ルイスが捕虜となっていたのだ。彼はアルカサルの向かい側、共和派司令部が置かれた中央郵便局へと連行される。そして民兵指揮官とモスカルド大佐との間に電話回線が確保された。
要塞の引き渡しを求める最後通告の後、民兵は受話器をルイス・モスカルドに手渡した。悲痛な対話が始まる。
「お父さん、聞こえる?」
「ああ、息子よ」
「アルカサルが降伏しなければ、僕を銃殺すると言っている。でも心配しないで」
「万一の時は、魂を神に捧げ、真の英雄として死ぬのだ。さようなら、息子よ! 強く抱きしめているぞ」
「僕もお父さんを抱きしめるよ。さようなら、お父さん!」
そして大佐は、10分の猶予を与えたという民兵指揮官に対し、受話器を置く前にこう叫んだ。「猶予時間は過ぎた。アルカサルは決して降伏しない!」数日後、ルイスは銃殺された。
包囲は約2か月に及び、1936年9月27日、ヤグエ将軍の部隊がトレドを解放してようやく幕を閉じた。救出されたモスカルド大佐は、バレラ将軍の前で直立不動の姿勢をとり、こう報告したという。それは反乱初日におけるナショナリスト側の合言葉だった言葉である。
「異常なし、将軍(Sin novedad, mi general)」