
小野田寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日〈大正11年〉-2014年1月16日)は、和歌山県亀川村(現在の海南市)出身の元日本軍人です。フィリピン・ルバング島に駐留していた際、第二次世界大戦の終結と1945年の日本の降伏を信じず、1974年まで単独で戦い続けました。「潜伏日本兵」と呼ばれる人々の中で、最も広く知られた存在です。
軍隊での訓練
6人兄弟の家庭に生まれた小野田は、地元・海南の学校に学びました。17歳で和歌山の漆器販売を手がける貿易商社・田島洋行に入社し、その後、中国・漢口の支店への配属を志願しました。20歳で徴兵され、和歌山の歩兵第61連隊に入営します。ほどなくして歩兵第218連隊へ配属転換となり、南昌へ向かった先で兄・忠雄と再会しました。
1943年、小野田は久留米へ移り、重澄将軍が率いる、その厳しさで恐れられていた学校で訓練を受けます。3か月に及ぶ集中訓練を終えると、元の部隊へ復帰しました。1944年8月13日、今度は静岡・二俣の第33部隊へ異動となります。ここは遊撃戦要員を養成する陸軍中野学校の分校でした。同年12月、ゲリラ戦術を学ぶ22人の一人に選ばれ、行き先は日本が占領下に置いていたアメリカ領フィリピン。上官の谷口義美少佐からは、「ルバング島におけるアメリカ軍の上陸を遅らせること」を命じられました。小野田はこの島で、日本軍の帰還を待つこと30年以上のジャングル生活を送ることになります。
1945年~1974年 潜伏の29年間
1945年、アメリカ軍がルバング島を奪回すると、島の日本軍はほぼ全滅するか捕虜となりました。それでも小野田は戦いを続け、当初は3人の仲間――赤津勇一、島田荘一、小塚金七――とともに山中で暮らしていました。しかし赤津は1950年にフィリピン軍へ投降。残る2人も地元勢力との銃撃戦で相次いで命を落とします(島田は1954年、小塚は1972年)。こうして小野田は、ひとり山に残されました。
戦争が終わったことを伝えようとするあらゆる働きかけを、彼は敵の謀略だとして退けました。1959年には、日本において戸籍上「戦死」扱いとされています。
1974年、日本の青年・鈴木紀夫がジャングルで小野田を発見しました。それでも彼は頑として受け入れず、「上官から直接、武装解除の命令を受けるまでは降伏できない」と主張します。鈴木は二人のツーショット写真を証拠として日本へ持ち帰り、これを受けて日本政府は、当時書店を営んでいた谷口義美元少佐の所在をつきとめました。谷口元少佐はルバング島へ渡り、小野田に日本の敗戦を正式に伝え、任務解除を命令。こうして小野田少尉は、第二次世界大戦終結から29年の時を経てついにジャングルを後にしました。軍服と軍刀、そして今なお使用可能な状態だった九九式短小銃、実弾500発、数個の手榴弾を引き渡しています。
潜伏期間中に島民約30名が犠牲となり、警察との銃撃戦も幾度となく交わしていましたが、特殊な事情が考慮され、フェルディナンド・マルコス大統領によって恩赦が与えられました。
厳密に言えば、小野田少尉は「日本国籍を持つ最後の投降者」です。日本軍全体としての最後の兵士は、その数か月後の1974年12月に発見されています。ただしその人は日本人ではなく、高砂義勇隊に加わっていた台湾原住民(アミ族)の中村輝夫でした。
帰還後の人生
投降後、小野田はブラジルへ移住し、牧場経営者として新たな人生を歩み始めました。帰国直後には自伝『戦わなかった戦争』を出版し、とっくに終わっていたはずの戦争におけるゲリラ生活の実態を綴っています。その後、日本人女性と結婚し、1984年に日本へ戻ると、大自然の中で子どもたちのためのキャンプ「小野田自然塾」を創設。孤独な山中生活で培ったサバイバルの知恵を、次世代へ伝える活動に打ち込みました。1996年にはルバング島を再訪し、地元の学校へ1万米ドルを寄付しています。
晩年の小野田は、影響力の大きい保守系団体「日本会議」に関わっていたことも知られています。
2014年1月16日、東京都内で死去しました。91歳でした。
知名度と文化的影響
その奇跡的な物語は、多くの創作者にインスピレーションを与えてきました。バッド・スペンサーとテレンス・ヒル主演のコメディ映画や、テレビシリーズのエピソードなどに部分的に取り上げられているほか、1980年の映画『ノアの大飛行』にも、孤島でいまだ戦争中だと信じ込んでいる日本兵二人が登場します。また、アンドレ・マスパンの小説『生きた化石の島』には、架空のソロモン島に取り残された第二次世界大戦のオーストラリア兵たちの姿が描かれています。
ピエール・ショーンドルフェル監督の映画『太鼓打ちの蟹』(1977年)では、冒頭まもなく、フランス海軍の護衛艦ジュレギベリー号の艦内で、ペール軍医大佐(クロード・リッシュ演じる)がテレビニュースを見るシーンの中に、小野田の名が登場します。
ゲームの分野でも、『Just Cause 2』には、戦争の終結を信じようとしない年老いた日本兵たちが住む島が登場します。
さらに、グザヴィエ・モームジャンの小説『La Guerre spéciale(特別戦争)』では、彼の名前を冠した宇宙船が登場するなど、その存在は今なお世界中の作品に影を落としています。