古代の歴史

なぜ核兵器は消えず、世界中に広がり続けるのか?歴史から読み解く核の現在地

1945年、広島と長崎への原爆投下以来、人類は核兵器に対して深い恐怖を抱き続けてきました。

第二次世界大戦後の冷戦時代には、米ソ対立が激化すれば核戦争が現実のものになるとされました。当時、両国は合わせて人類を5回以上滅ぼせるほどの核兵器を保有しており、「核兵器の使用=世界の終わり」を意味していたのです。

核保有国はアメリカとソ連に加え、フランスや中国もありましたが、冷戦期の主役は何といってもアメリカとソ連の二大国でした。

冷戦終結後、現代社会を取り巻く環境は大きく変化します。インド、パキスタン、北朝鮮が核保有を宣言し、イスラエルも事実上の保有国と見なされています。核保有国が増えるほど、偶発的な核使用のリスクは高まっていきます。

さらに、隣国との関係が不安定なこれらの国々は、他国からの侵略を防ぐ抑止力として核を保持していると考えられますが、どんな状況に至れば核が使われるのか、予測はほぼ不可能です。加えて近年では、テロ組織による核兵器の使用や核施設への攻撃も懸念材料となっています。

核兵器をいかに削減・廃絶し、既存の核をどう管理するかが大きな課題となる今の時代、最大の問題は「核兵器の使用を予測することが事実上不可能」であるという点です。

本記事では、なぜ核兵器は消滅せず、むしろ広がり続けるのかについて、歴史をたどりながら解説します。

アメリカが日本へ原爆を投下した理由

核兵器の開発は、ナチス・ドイツ政権下で初めて着手されたと言われています。

ドイツの核開発に危機感を抱いたのがアメリカでした。「ドイツが核兵器を手にすれば、戦争の勝敗は一気に覆ってしまう」。そう判断したアメリカは、ドイツに先んじて核開発を完成させるべく、1942年に「マンハッタン計画」を始動させます。

そして1945年7月、世界初の核実験に成功したのもアメリカでした。

開発に携わった科学者たちは核兵器の凄まじい威力を熟知しており、この技術がいずれ他国にも波及することを予見していました。そこで技術者たちは政府に対し、核に関する情報を公開して国際的管理下に置くよう提案しますが、受け入れられませんでした。

当時の第二次世界大戦の戦況を見ると、ドイツはすでに降伏し、日本も沖縄が米軍に占領されるなど、あえて核兵器を使う必然性は薄い状況でした。それでもトルーマン大統領は、日本への原爆投下を決断します。

この決断の背景には、ソ連との関係があるとされています。すでに米ソの対立は始まっており、アメリカとしては、ソ連が対日参戦する前に戦争を終結させ、日本の戦後処理で主導権を握りたかったのです。実際、トルーマンは「ロシアが参戦する前に日本を屈服させる」と書き残しています。

こうして後の冷戦につながる米ソ対立の構図が、日本への悲劇的な原爆投下と、今日まで続く核の恐怖を生み出したのです。

国際管理に失敗し、米ソは軍拡競争へ

日本への原爆投下を目撃した世界各国は、核兵器を国際的に管理することの重要性を痛感しました。

1946年、戦後最初の国連総会で採択された第一決議は、核問題を議論する原子力委員会の設立でした。核問題は、国連にとって最重要の課題だったのです。

しかし、すでに米ソ対立が始まっていたため、委員会での両国の主張は真っ向から衝突します。ソ連は「すべての核兵器を廃絶すべき」と主張しましたが、唯一の核保有国であるアメリカはこれに応じられませんでした。(当時のソ連の主張は、むしろ筋が通っているように思えるのは筆者だけでしょうか?)

当然、協議は物別れに終わり、国連主導による核の国際管理は失敗します。

こうなると、ソ連も抑止力として核開発に乗り出します。1949年、ソ連はついに核実験に成功し、アメリカに次ぐ第二の核保有国となりました。ここから米ソ間で果てしない核軍拡競争が始まります。

アメリカの核弾頭数は1966年の約3万2000発、ソ連は1986年の約4万5000発でピークに達しました。技術面でも、1952年の水爆実験成功を皮切りに、1955年の原子力潜水艦、1959年には大陸間弾道ミサイル(ICBM)、翌年には潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)と、新兵器が次々と登場していきます。

両国の際限のない核開発は、人類存亡の危機すら招きかねない事件を引き起こします。

1962年、ソ連がアメリカの目と鼻の先にあるキューバに核ミサイルを配備したことに対し、ケネディ大統領は「キューバから核ミサイルが発射されれば、アメリカも報復する」と強硬姿勢を示し、世界は第三次世界大戦寸前の瀬戸際にまで迫りました。

キューバ危機は結果的に両国の交渉によって回避されましたが、ひとつでも判断を誤っていれば、人類は今頃存在していなかったかもしれないのです。

削減が進む一方で、核は世界へ拡散

1989年に冷戦が終結すると、核軍縮の機運が一気に高まりました。

1991年には、米ソが保有する戦略核兵器をそれぞれ1万発から6000発未満に削減する「戦略兵器削減条約(START)」が調印され、2001年までに履行を完了しています。

さらに2009年のオバマ政権下では核軍縮が大きく前進し、「核なき世界」を訴えた演説によりノーベル平和賞を受賞しました。ロシアとの交渉も活発化し、2010年には戦略核弾頭の削減を定めた「新戦略兵器削減条約」が締結されています。

しかし冷戦の終結が米ソの核軍縮をもたらした一方で、核兵器の世界的な拡散も招くことになりました。

旧ソ連の杜撰な核管理により、核物質の盗難や密輸事件が多発。2001年の同時多発テロ以降は、核テロリズムの可能性が深刻な問題としてたびたび取り上げられるようになりました。

また、1998年にはインドとパキスタンが、2006年には北朝鮮が核実験を強行し、五大国以外の核保有を認めないNPT体制は大きく揺さぶられました。

こうして、核兵器とその技術を国際的に管理することの難しさが浮き彫りになったのです。

核兵器禁止条約に核保有国は相次いで反対

2017年7月、国連において多数の賛成により核兵器禁止条約が採択されました。

核兵器の開発・保有・使用・使用の威嚇などを禁止するこの条約は、50カ国が批准手続きを完了すれば発効します。ところが、この条約の採択こそが、核兵器廃絶の難しさを印象づける結果となりました。

核保有国はもちろん、日本、韓国、ドイツなど「核の傘」に守られる国々もすべて条約に反対し、交渉自体に参加しませんでした。仮に条約が発効しても、不参加国には効力が及ばないため、実効性は乏しいと言わざるを得ません。

現在の核不拡散条約(NPT)の枠組みでは、1967年1月1日以前に核実験を行ったアメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国の5カ国の保有だけが認められ、その他の国の保有は許されていません。

明確なのは、この5カ国が他国には核保有を認めない一方で、自分たちが核を手放す選択肢を持っていないという点です。

さらにアメリカのトランプ政権は、核兵器の廃絶よりも近代化を推進。2018年に発表した「核態勢の見直し」には、爆発威力を抑えた小型核兵器の開発が盛り込まれました。現在の核兵器は威力が大きすぎて使いにくいため、敵基地をピンポイントで攻撃できる小型核を開発し、原子力潜水艦に搭載するという構想です。

さらにトランプ氏は、冷戦期にソ連と結んだ中距離核戦力(INF)全廃条約からの離脱を表明しました。これにより、再び核軍拡競争が勃興する懸念が高まっています。

南半球ではすでに非核兵器地帯が広がっている

「核なき世界」は人類共通の大きな目標ですが、現状はまったく進んでいません。しかし南半球では、すでに大多数の国と地域が「非核兵器地帯」となっています。

非核兵器地帯を定めた最初の条約は、ラテンアメリカのトラテロルコ条約です。ラテンアメリカにおける核兵器の実験・製造・使用・配備を禁止するこの条約は、1968年に発効しました。当初は一部の国が不参加でしたが、2002年までにラテンアメリカ33カ国すべてが全項目について合意に達し、条約は完全なものとなりました。

この条約は5つの核保有国によっても最終的に確認されており、非核化義務に違反する行為を助長しないこと、加盟国に対して核を使用・威嚇しないことが盛り込まれています。

現在、非核兵器地帯条約は複数の地域で発効しています。2009年にアフリカでペリンダバ条約が発効したことで、南半球の大部分が非核兵器地帯で占められることになりました。

まとめ:核兵器が消えない理由とは

核兵器は「使えば世界が終わる」ほどの破壊力を持ちながら、国際政治の力学の中で消えるどころか広がり続けてきました。米ソ対立という冷戦構造、核による抑止の考え方、大国のダブルスタンダード、テロ組織への拡散リスク——その要因は多岐にわたります。

一方で、南半球の非核兵器地帯は、地域全体が一丸となって核を拒否できることの証左であり、希望の例とも言えます。核兵器を減らし、最終的になくすために、私たち一人ひとりがこの問題に関心を持ち続けることが何より重要なのです。