教科書の第2章「アジアとアメリカの古代文明」に入ると、まず最初に学ぶのが四大文明の一つであるインダス文明です。
今回はインダス文明に入る前に、その舞台となるインドの地理的特徴や気候について詳しく見ていきましょう。古代文明の誕生には地理と気候が深く関わっているため、ここを押さえておくことが理解への近道になります。
インドの地理的特徴
古代インドの最初の文明として学ぶインダス文明は、インダス川の流域で栄えた文明です。この川は現在、その大部分がパキスタンの領土内を流れています。地図で見ると、インド地域の中では最も西側に位置する河川です。
インダス川は全長約3,180kmに及び、チベット自治区のチベット高原に源を発し、アラビア海へと注ぎ込みます。河口部は三角形に大きく広がった三角州(デルタ)を形成しており、世界的にも珍しい現象である「海嘯(かいしょう/潮津波)」が発生することでも知られています。
インダス川の東側にはタール砂漠が広がり、西側には総延長450km、最高峰3,487mのスライマン山脈が連なっています。近隣に世界最高峰クラスの山々があるため低く感じられますが、日本最高峰の富士山よりわずか300mほど低いことを考えれば、十分な高さを持つ山脈だということが分かります。
言うまでもなくヒマラヤ山脈は世界最高峰を擁する非常に高い山脈です。また、その北側に連なるカラコルム山脈も広義にはヒマラヤに含まれ、こちらも標高ランキング上位100の大半をヒマラヤとカラコルムが占めるほど、極めて高い山脈です。ヒンドゥークシュ山脈もこの高山地帯の一翼を担っています。
地図から読み取れるように、古代インドは当時高度に発展していたオリエント世界と中国という二大文明圏の間に位置していました。この立地こそが、多様な文明の誕生を促した大きな要因です。
同時に、インド周辺地域は世界有数の高峰と海に囲まれており、外部からの攻撃を受けにくい一方で、外へ攻め出すことも難しいという特徴があります。そのため、オリエント世界のように広大な領土を獲得した王朝は少なく、多くの王朝はインド亜大陸(それ自体がかなり広大な土地ですが)の内部で興亡を繰り返しました。
インドの気候と大地の恵み
肥沃な土壌と氾濫農業
インダス文明は、インダス川沿岸の肥沃な土壌によって育まれました。エジプト文明と同様に、川の氾濫が運んできた肥沃な土を使う「氾濫農業」が古代インドで行われていたのです。
北部のカラコルム山脈やヒマラヤ山脈は、新生代造山帯と呼ばれるエリアに属します。比較的新しい時代(現在も進行中)に造山運動が活発だった地域のため、風化の期間が短く、高くて険しい山々が形成されました。
造山運動が活発な地域には、火山性岩石の多いエリアもあります。山肌が風化・削られてできた土壌、自重で崩落した山地の一部が流れ出して堆積した沖積土、そして火山活動で噴出したマグマが冷えて固まった火山岩が削られて生まれた土など、多様な土壌が存在します。
インド中部のデカン高原周辺には、玄武岩(火山岩の一種)からなる溶岩台地が広がっています。この玄武岩由来の土壌は「レグール(黒綿土)」と呼ばれ、小麦栽培や綿花栽培に最適とされています。
※同じ火山岩由来であっても、火山灰の混入量や植生の違いによって、まったく異なる土壌が生まれることもあります。
また、上流部では複数の支流が合流して一本のインダス川となります。さらにガンジス川も含めて考えると、これらの川は非常に広い範囲を流れる大河であり、その流域には弧状の沖積平野が広がっています。これがヒンドゥスタン平原です。
このヒンドゥスタン平原は、現在も世界で最も集約的な農業地域の一つとなっています。
多様な気候帯
北のヒマラヤ山岳地帯、中央部のデカン高原周辺、そしてタール砂漠周辺では、気候がまったく異なります。山々が多く面積も非常に広大な地域なので、当然と言えば当然かもしれません。
インダス川周辺の南部平野は一年を通じて乾燥した砂漠気候に属し、北部平野はステップ気候に属します。しかし、その他の大部分の地域は、雨季と乾季がはっきりと分かれるモンスーン気候(季節風気候)に属しています。
モンスーンとは季節風のことで、夏には南西から、冬には北東から風が吹きます。この季節風が山岳地形と重なり合うことで、地域ごとの気候特性が顕著に現れます。
夏になると、インド半島の突き出た部分にはアラビア海から湿った風が吹き込みます。この風がそびえ立つ西ガーツ山脈にぶつかることで雨雲が発達し、山脈の西側には大量の雨が降ります。
一方、すでに大量の雨を降らせた雨雲は、デカン高原に到達する頃には十分な水蒸気を失っているため、雨は降るものの降水量は多くありません。これがデカン高原が比較的乾燥している理由です。
インド北東部では、東ガーツ山脈やヒマラヤに向かって、インド洋(ベンガル湾)から豊富な水蒸気を含んだ雨雲が流れ込むため、世界有数の多雨地域となります。
また、アフリカ大陸やアラビア半島方面から吹いてくる乾燥した風の影響を受けるのが、タール砂漠周辺地域です。
乾季の風は北東からの風です。大陸内部の乾燥した風が吹くため、ほとんどの地域で降雨が少なくなります。
砂漠とは、水の利用を徹底的に工夫しなければならない地域です。エジプトやメソポタミアと同様に、こうした厳しい環境への対応こそが古代文明文明誕生の鍵となったと考えられています。
インドの農作物
文明が誕生するには多くの人々が必要であり、彼らを養うための食料確保が不可欠です。インダス文明も、この条件を満たしていたのです。
インダス川流域の多くの場所では小麦が栽培され、水に恵まれた一部の地域では米も栽培されていました。加えて、インド周辺地域は気候も土壌も多彩なので、穀物以外の作物も収穫可能です。
カルダモン丘陵の名前は、最古のスパイスとも呼ばれるカルダモンに由来します。また、その西端に位置するニルギリ山脈では茶葉が栽培されています。紅茶好きなら「ニルギリ」という名前をご存じかもしれません。インドのダージリンやアッサムと並ぶ有名紅茶の産地なのです。
さらに、雑穀や豆類、油糧種子などの乾燥に強い作物も西インドで生産されており、インド周辺には温暖な地域が多いため、果実も豊富に収穫できます。
インドとパキスタンは、17世紀以降の貿易構造の変化、19世紀にイギリス領となった歴史的経緯、そして品種改良や化学肥料導入などを柱とする緑の革命により、古代農業と現代農業の様相は大きく異なります。しかし、穀物・スパイス・果物を栽培できる土壌という点は、今も昔もあまり変わっていません。
これまで学んできた内容の範囲内で整理すると、次のような対比が浮かび上がります。
- ヨーロッパ発祥の文明は、穀物の生産量がボトルネックとなっていた
- メソポタミアやイラン高原に興った国家群は、砂漠と海に囲まれたエジプト、険しい山々に囲まれたインドと比べて攻撃されやすく、他民族の流入も多かった
国力を強化するために拡張路線へ転換する例は少なくありませんでしたが、インドの場合、その動きがインド亜大陸の内部で完結することが多かったのです。
インドとヨーロッパの大きさを比較した地図を見れば分かるように、インドは非常に広大です。インドの文明が外へ向かわなかった理由は、単純にその規模の大きさゆえとも言えるでしょう。
今後は、インド周辺で発生した文明や国家について、順番に解説していきます。