背景:避妊が禁止されていた時代
1920年7月31日に成立した法律は、あらゆる避妊方法の使用を禁止するとともに、出生抑制に関する宣伝・広告行為までも違法としていました。この法律のもとで、フランスにおける人工妊娠中絶も非合法とされ、自発的に妊娠中絶を行った女性は刑事責任を問われ、最悪の場合には実刑判決を受ける可能性さえあったのです。
一方、1950年代のアメリカでは経口避妊薬(ピル)が開発され、これに呼応する形で家族計画(ファミリー・プランニング)運動が世界的な広がりを見せていました。こうした国際的な潮流を背景に、フランス国内でも避妊の合法化を求める声が次第に高まっていきます。
避妊の合法化という問題が政治の場で初めて本格的に取り上げられたのは、1965年の大統領選挙におけるフランソワ・ミッテランの選挙運動でした。彼が公約として避妊解禁を掲げたことで、このテーマは国民的な議論の対象となったのです。
1967年12月19日――法律の成立
1967年12月19日、避妊薬の使用を認める法案が国民議会(下院)で採択されました。この法律は、その提唱者の名前を冠して「ノイヴィルト法」と呼ばれることになります。
人物:リュシアン・ノイヴィルト
ドゴール派の国会議員であったリュシアン・ノイヴィルトは、ピルをはじめとする避妊手段の使用を認める法律の原案を作り上げた中心人物です。
審議の過程
議会での審議は非常に白熱し、議員たちの関心は主に「避妊処方の限界をどこに設けるべきか」という点に集中しました。議論の中で二つの陣営が浮かび上がります。一方は自由な処方を求めるグループであり、もう一方は当時の治療目的の中絶と同様に、処方を厳格に管理すべきだと主張するグループでした。後者は「3人の医師による同意が必要」という厳しい条件の導入を求めたのです。
こうした激しい論戦を経て成立したノイヴィルト法により、フランスにおいて避妊は合法となりました。ただし、この時点では避妊費用は社会保障制度による給付対象外とされていました。
法律のその後と影響
- 実際の施行は1974年まで待たねばなりませんでした。 ノイヴィルト法は成立後も十分には機能せず、1974年12月4日の法律によってようやく避妊手段が真に自由化され、処方箋にかかる費用の社会保障による払い戻し(保険適用)も実現しました。
- 人工妊娠中絶は対象外でした。 ノイヴィルト法は自発的妊娠中絶(IVG)を含んでいなかったため、中絶の非犯罪化が実現するのは、1975年に公布された有名な「ヴェイユ法」を待つことになります。
ノイヴィルト法は、フランスにおける女性の身体的自己決定権と生殖に関する権利の歴史における重要な転換点となりました。その意義は、単なる避妊の合法化にとどまらず、その後のヴェイユ法へと続く一連の社会改革への道を開いた点にあります。