古代の歴史

ワーテルローの戦い――ナポレオン帝国に終止符を打った1815年の決戦

ナポレオンの帰還と「百日天下」

ナポレオン・ボナパルトは1815年3月20日、エルバ島から脱出してパリに凱旋し、権力を回復すると帝政の再建、すなわち「百日天下」に乗り出しました。しかし、フランス国内のすべてが彼の復帰を支持したわけではありません。ヨーロッパ列強はウィーン会議の場で7度目となる対仏同盟を結成し、一致団結してナポレオンに立ち向かったのです。

1815年6月、ナポレオン軍はベルギー方面へ破竹の進撃を見せます。しかし悪天候に進軍の足取りを乱され、ウェリントン公アーサー・ウェルズリー率いる約7万人の連合軍に、ワーテルロー村付近で態勢を整える猶予を与えてしまいました。大軍を擁する帝国軍でしたが、そこで予想外の激しい抵抗に直面することとなります。

開戦日:1815年6月18日

ワーテルローの戦い――ナポレオン帝国に終止符を打った1815年の決戦

主な登場人物

  • ナポレオン・ボナパルト(フランス皇帝)
  • エマニュエル・ド・グルーシー(フランス元帥)
  • アーサー・ウェルズリー(初代ウェリントン公)
  • ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル(プロイセン元帥)

戦いの経過

帝国軍の動きは遅く、最初の砲声が轟いたのは午前11時30分。攻撃の矛先は、要塞と化していたウグーモン農場に向けられました。ナポレオンはこの日、グルーシー率いる別働隊による増援を終日期待していました。

午後には戦闘が全線に拡大。中央では激しい砲火のもと、帝国軍は幾度も突撃を試みるものの、イギリス軍が構える3つの拠点を突破できず、その都度撃退されました。

夕刻が近づくと、ブリュッヘル将軍率いるプロイセン軍が連合軍の右翼に到着します。両軍ともに一進一退の攻防を繰り広げる壮絶な戦いとなりましたが、日没に向かうにつれ優勢は徐々に連合軍へと傾き、帝国軍はじりじりと押し込まれていきました。ナポレオンは包囲される事態すら恐れるようになります。

老親衛隊は最後の突撃を敢行しましたが、すでに主力はパリへ向けた撤退を始めており、背後からはプロイセン軍が執拗に追撃してきました。グルーシーの増援部隊が戦場に現れることは、ついにありませんでした。

戦いがもたらした結果

  • パリに戻ったナポレオンは1815年6月22日、二度目の退位を宣言。第一帝政と百日天下はここに完全に幕を閉じ、彼は南大西洋のセントヘレナ島へ流刑に送られました。
  • 連合軍は同年7月6日にパリに入城し、7月8日にルイ18世を王位に復位させました。これがいわゆる「第二次王政復古」です。
  • わずか4日間のベルギー戦役で、フランス軍は死者1万1千人超、負傷者約3万人という甚大な損害を受け、フランス革命以降で最も犠牲の大きな戦役の一つとなりました。

まとめ

ワーテルローの戦いは、ナポレオン時代の終わりを決定づけただけでなく、19世紀ヨーロッパの国際秩序を大きく左右した歴史の転換点として、今日でも世界中で研究され、語り継がれています。