トゥール大会の背景
フランス労働者インターナショナル・フランス支部(SFIO)の結束は、第一次世界大戦中にほぼすべての社会主義者が「聖なる同盟(ユニオン・サクレ)」に加担したことで揺らぎ始めました。しかし、戦争が予想以上に長引くにつれ、平和主義を支持する勢力は聖なる同盟の正当性に疑問を呈するようになりました。
1917年のロシア革命と1918年のブレスト=リトフスク条約は、フランスの社会主義者たちに大きな感銘を与えました。レーニンは彼らの国際共産主義への合流に対して21か条の条件を提示し、その最も重要な点はモスクワの方針への無条件の追従でした。
また、1919年から1920年にかけて労働運動は大きく発展しました。労働総同盟(CGT)が組織したローテーション・ストライキに対し、1万8,000人もの解雇という弾圧が行われたのです。
レオン・ブルムは1919年の臨時大会において、多様な運動の存在を正当化しつつも、党内の結束を訴えました。しかし同年11月の総選挙では、SFIOは議席の3分の1を失う結果となりました。
ストラスブール大会では、出席者が圧倒的多数でSFIOの第二インターナショナル(1889年以来23か国の社会主義政党が参加していた国際組織)からの脱退を承認し、第三インターナショナルへの加盟に関する議論へと進むことになりました。
大会の概要
トゥール大会はSFIOの第18回全国大会として、1920年12月25日から30日まで開催されました。大会では以下の三つの派閥が対立しました。
- 第三インターナショナル(コミンテルン)への無条件加盟支持派(極左):革命的かつ平和主義的な陣営であり、党を知的ブルジョアジー出身であるか否かにかかわらず、労働者階級出身の社会主義エリートによって指導すべきだと主張しました。マルセル・カシャンとリュドヴィック=オスカル・フロサールがこの立場を擁護しました。
- 条件付き加盟支持派(ジャン・ロングエ率いる「再建派」右翼):中道派閥に位置づけられます。
- 加盟反対派(レオン・ブルム、ジュール・ゲードら「抵抗派」):コミンテルンへの加盟に断固として反対しました。
投票の結果、加盟支持派が4分の3の票を獲得し(3,208票対ロングエ動議の1,022票)、各指導者の演説も状況を変えることはできませんでした。SFIOの分裂は不可避と思われた矢先、インターナショナル執行委員会からの電報(いわゆる「ジノヴィエフ電報」)が届きました。その内容は、多数派に対しロングエの中道グループとのいかなる妥協も拒否するよう求めるものでした。党内の異論は認められず、SFIOは分裂へと向かったのです。
大会の主要人物
- リュドヴィック=オスカル・フロサール
- マルセル・カシャン
- ジャン・ロングエ
- レオン・ブルム
- ジュール・ゲード
- グリゴリー・ジノヴィエフ
大会の結果と影響
1920年12月30日、SFIOは二つの勢力に分裂しました。
- 多数派はフランス共産党(SFIC)を結成し、フロサールが初代書記長に就任、機関紙『ユマニテ』を党の公式機関誌としました。
- 少数派はSFIOの名称を保持し、レオン・ブルムが指導を引き継ぎました。
この分裂は、フランス左翼政治の歴史における決定的な転換点となり、後の社会主義政党と共産主義政党の対立構造を形作ることとなりました。