ヨーロッパ統合の歩み:前史
- 19世紀:「政治的ヨーロッパ」構想が初めて提唱される。特にヴィクトル・ユゴーは「ヨーロッパ合衆国」という言葉で、大陸全体の連合という理想を語った。
- 1920年:クーデンホーフ=カレルギー伯爵が、第一次世界大戦の惨禍を二度と繰り返さないことを目的とした汎ヨーロッパ連合の創設を提唱する。
- 1943年:第二次世界大戦の最中、各国のレジスタンス運動は、このような悲劇的な紛争を再び起こさないために国家間の連合を模索し始め、ヨーロッパ連邦主義運動を設立した。
- 1947年:世界がソ連とアメリカという二つの対立する陣営に分極化する。ソ連に支配された東側諸国に対抗し、共産主義の拡散を防ぐため、アメリカは西欧諸国により強い結束を促した(トルーマン・ドクトリンに基づく封じ込め政策)。こうした文脈の中で1948年、マーシャル・プランの資金配分を担う機関としてOEEC(欧州経済協力機構)が設立された。
- 1948年:ブリュッセル条約が締結され、西欧諸国間の防衛軍事同盟が定められた。
1948年~1950年:ハーグ会議から欧州人権条約へ
この時期の中心人物には、コンラート・アデナウアー、ジャン・モネ、ロベール・シューマン、アルチーデ・デ・ガスペリらが名を連ねる。
ハーグ会議の開催
1948年5月、オランダのハーグにおいてウィンストン・チャーチルを議長とする「ヨーロッパ会議」が開催された。その目的は、ヨーロッパ各国を一つの国家的連合へとまとめることであった。
この会議の最大の論点は、この連合を連邦主義の形態とすべきか、それとも主権主義にとどめるべきかという点にあった。前者は強い協力の証となる一方、後者では各国が従来の権限の大部分を保持し続けることになる。会議内では激しい意見の対立が見られたが、最終的には後者の路線が優勢となった。これは、ヨーロッパ建設の理念にとって限定的な勝利といえるものであった。
欧州評議会の設立
ハーグ会議では欧州評議会の創設が決議され、その1年後の1949年5月に正式に発足した。同評議会の使命は、民主主義の促進と人権の尊重を推進することである。ただし、欧州評議会には独自の強制力がなく、その決定を加盟各国に法的に拘束させることはできなかった。
欧州人権条約の調印
翌1950年、欧州評議会の加盟国は集まり、欧州人権条約に調印した。その目的は、人権と基本的自由を保護することにある。
その後の展開と影響
- 1951年:政治的連合よりも経済面からのアプローチによってヨーロッパ建設の出発点を作るべく、「ヨーロッパの父」たちはECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)を創設した。
- 1959年:欧州人権条約の遵守を確実にするため、ストラスブールに本拠を置く欧州人権裁判所が設立された。