古代の歴史

クリストファー・コロンブスの航海――新大陸発見への4つの航海(1492〜1504)

15世紀末、アフリカ沿岸では海洋探検と発見が相次ぎ、ヨーロッパの関心は「未知のアジア」の発見へと向かっていました。

ジェノヴァ出身の航海者クリストファー・コロンブスは、古代ギリシャの学者プトレマイオスの『地理学』の影響を受け、「地球は丸いのだから、西へ進めばインドに到達できるはずだ」と確信しました。しかし彼は地球の実際の大きさを正確には知らず、この壮大な計画は当時の人々には突飛な構想と映りました。コロンブスは長年、ヨーロッパ各国の王に資金援助を求めて説得を続けましたが、ことごとく失敗。ようやく1492年、グラナダ陥落によってレコンキスタを完成させたカトリック両王(フェルナンドとイサベル)が支援を承諾しました。とはいえ、両王自身も計画の成功を本気で信じていたわけではありませんでした。

航海の時代:1492年〜1504年

主な登場人物

  • クリストファー・コロンブス
  • アメリゴ・ヴェスプッチ

航海の記録

第1回の航海(1492年〜1493年)

1492年、コロンブスはついに出航の許可と、3隻の船、90名の船員を手に入れました。誰も成功を信じていなかったため、「発見した土地の副王」に任じられるという破格の条件が与えられました。

船団は1492年8月3日にスペインを出港し、10月にバハマ諸島へ到達。穏やかな性格の先住民(インディオ)たちに温かく迎えられました。

その後、キューバ島とイスパニョーラ島(現在のハイチ)を発見しますが、1隻が座礁し、さらに別の1隻も失ったため帰国が遅れます。コロンブスはイスパニョーラ島に小さな入植地「ラ・ナビダード」を建設し、一部の乗員を残して1493年1月4日に帰路につきました。

途中で失った船を見つけ直し、2月にポルトガルへ到着。黄金こそ持ち帰らなかったものの、「インドへの新航路を発見した」と確信していました。ポルトガルでの受け止めは冷淡でしたが、スペインでは熱狂的な凱旋歓迎を受けました。

第2回の航海(1493年〜1496年)

1493年9月25日、コロンブス率いる当時史上最大の探検船団がスペインを出港しました。その規模は17隻、1200名以上に及びます。

11月初旬、ドミニカ島、マリー・ガラント島、グアドループ島を相次いで発見しますが、今回は先住民との武力衝突も発生しました。

前回建設したラ・ナビダードに戻ると、入植者たちが先住民への略奪や暴虐を働いた末に、植民地は壊滅していました。コロンブスによる報復は極めて残酷なものでした。

翌1月、金鉱脈の近くに新しい植民地「ラ・イサベラ」を建設。コロンブスは容赦ない総督として植民地を統治し、スペイン人は先住民の反乱を鎮圧しながら強制的な労働搾取を組織化していきました。その結果、先住民の人口は激減することになります。

コロンブスは自分がまだ「インド」にいると信じ続けていましたが、なぜ高度な文明や豊かな都市が見つからないのか、理解できないでいました。1496年の帰国は黄金を持たぬまま、前回ほどの凱旋にはなりませんでした。スペインはこの遠征で多大な費用を失い、しかも当時はフランスとの戦争真っ只中でした。

第3回の航海(1498年〜1500年)

1498年3月30日、コロンブスはわずか3隻の小さな船団で再び出航し、オリノコ川の河口域を発見。「地上の楽園の入り口に立っている」と確信しました。

イスパニョーラ島に戻ると、今度は自ら先住民の過酷な搾取を主導しますが、入植者同士の対立は深刻化の一途をたどりました。

1500年、事態を重く見たカトリック両王は調査官を現地に派遣。コロンブスは「王室から富を隠匿した」廉で逮捕され、鎖につながれて本国へ送還されました。

帰国後、彼は厳しい裁判にはかけられませんでしたが、総督としての権力を失います。一方、探検と征服の動きはますます加速していくのでした。

第4回の航海(1502年〜1504年)

釈放後に行われたコロンブス最後の航海は、嵐や遭難、仲間の死に見舞われる悲劇的な旅となりました。この航海で彼はついにアメリカ地峡(中央アメリカ)を発見しますが、それでもインドへの航路を見つけることは叶いませんでした。コロンブスは自らの発見が「新大陸」であることを知らないまま、1506年にこの世を去りました。

航海がもたらした歴史的影響

  • これらの発見を受けて、1494年6月7日にトルデシリャス条約が締結され、スペインとポルトガルが未知の土地を大西洋上の子午線で二分しました。以降、一連の探検遠征が続き、植民地化は加速度的に進んでいきます。
  • 16世紀初頭、アメリゴ・ヴェスプッチが、コロンブスが到達したのはアジアではなく「未知の新大陸」であることに気づきました。この大陸は後に彼の名にちなんで「アメリカ」と呼ばれることになります。新大陸からもたらされた莫大な富は、ルネサンス期ヨーロッパの繁栄を支える基盤となりました。
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