古代の歴史

吸血鬼の正体は「自然現象」だった?——18〜19世紀ヨーロッパを震撼させた怪奇現象の科学的解釈

吸血鬼の正体は「自然現象」だった?——18〜19世紀ヨーロッパを震撼させた怪奇現象の科学的解釈

ムンク《ヴァンパイア》(1893年) 出典:WIKIMEDIA COMMONS

18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパでは「吸血鬼」の流行が社会を席巻した。1762年、哲学者ルソーはこう述べている。「もし世界中に確証のある歴史があるとすれば、それは吸血鬼の歴史だ。何ひとつ欠けていない。公式記録があり、名士、外科医、司祭、治安判事たちによる証明書が揃っている」。もちろん懐疑派も常に存在した。ルソー自身もその一人であり、作家シャルル・ノディエも1822年に、理性的な人間がどうして「あらゆる俗信の中で最も不条理なもの」を信じられるのかと問いかけている。それでも多くの人々は吸血鬼を信じ、自ら目撃したとまで証言した。

この吸血鬼ブームの火付け役となったのが、ベネディクト会修道士オーガスティン・カルメである。彼は1751年、数多くの吸血鬼事件を網羅した『霊の出現ならびに吸血鬼ないし亡霊についての論考』を著した。

カルメは吸血鬼を次のように定義している。「死者が墓から這い出し、生者を悩ませ、血を吸い、姿を現し、戸口や屋内で物音を立て、ついにはしばしば死をもたらす存在。この災厄から逃れる唯一の方法は、遺体を掘り起こし、首を切り落とし、杭打ちや焼却を行うか、心臓を貫くことである」。そして死者が吸血鬼と化した最初の兆候こそ、遺体が「腐っていない」ことだとされた。「地面から引き上げると、全身が無傷で、真紅に流動する血液と、しなやかに動く四肢が見つかる」とカルメは記している。

セッケン化した死体

しかし、死体が保存される現象は、よく知られた二つの自然作用で十分に説明できる。乾燥した高温環境で起こるミイラ化と、中欧・東欧に典型的な低温多湿環境で進行するセッケン化(脂肪鹸化)である。セッケン化の過程では、脂肪酸が石鹸に似た蝋状の物質へと変化し、死体の表面を覆って腐敗を防ぐ。この状態の死体は生きた人間ほどの柔軟性はないものの、一定の弾力性を保つ。つまり、吸血鬼に関する文献に登場する死体は、ほぼ間違いなくセッケン化していたのだ。

吸血鬼を見分けるもう一つの兆候が、埋葬された死体に付着した血痕である。カルメはこう説明する。「吸血鬼は大量の血を吸うため、時に口や鼻、主には耳から血が溢れ出し、棺の中で自ら吐き出した血の海に浮かぶことさえある。生命の兆候が残っており、血は液体状のままなのである」。別の文献には「棺を開けると、吸血鬼は血溜まりの中に横たわっていた。血を飲みすぎて、吸い込んだ血をすべて体内に留めておけなかったのだ」とも記されている。

死体の血液が流動性を保つ期間は、置かれた環境条件に大きく左右される。低温という理想的な条件下では、血液は3〜4日、場合によってはそれ以上凝固せずに残る。吸血鬼の痕跡を探してこの期間内に遺体を掘り起こせば、「血管に血が残っている」状態に出くわす可能性は十分にあった。

いずれにせよ凝固の遅れには複数の理由が考えられる。血にまみれた、あるいは血の海に「浮かんでいる」死体の話(明らかに誇張されているが)については、血液がまだ流動性を保っていた時期に発生した死後出血が最有力候補だ。遺体を墓地へ運ぶ際や棺を墓穴に下ろす際の衝撃が外傷となり、鼻や口から多かれ少なかれ出血が起こった可能性がある。さらに死因によっては、死体血漿中の抗凝固物質の濃度が高くなることもある。つまり血が鼻や口から自然に噴き出しても、俗信が言うような吸血鬼の仕業とは限らないのである。

杭を刺された死体の「叫び」

この信仰によれば、吸血鬼の出現を食い止めるには、遺体を掘り起こして杭を打ち込まねばならず、その瞬間、吸血鬼は恐ろしい悲鳴を上げるという。カルメの論文にはこんな事例が残されている。吸血鬼狩人が「慣例に従い、鋭利な杭を心臓に突き立てると、杭は死体を左右に貫通し、彼はまるで生きているかのように恐ろしい叫び声を上げた」。これは、吸血鬼が確かに生きており、心臓を刺されて初めて本当の死を迎えるというもう一つの「証拠」とみなされた。

しかしこの現象にも自然な説明がつく。杭が挿入されると、胸腔に閉じ込められていた空気が急速かつ激しく排出され、喉を通過する際に音を発することがあるのだ。立ち会った人々は、この咆哮に似た音を、死体が痛みに叫んだ声として解釈したのである。

死んでも伸びる髪と爪?

吸血鬼であることを「疑いようもなく」示す現象として、髭・髪・爪が伸び続ける死者の存在も挙げられていた。生前の人体では、細胞の分裂と血流による栄養供給によって髪や爪は成長する。人が死ねば栄養供給が止まり、成長も当然停止する。

ところが、錯視が別の印象を生むことがある。死後、皮膚は乾燥して脱水し収縮するため毛根が露出し、さらに毛髪は倒れ込みやすくなるため、伸びたように見えるのだ。爪も同様で、死体の組織が引っ込むことで実際より長く見える。

古代の吸血鬼事件を検証すると、当時の死体の描写は驚くほど正確であり、観察された現象の多くが実際に死後に起こっていたことがわかる。しかし、それらに与えられた説明は科学的なものではなかった。吸血鬼への信仰は、死体の腐敗過程や自然現象のメカニズムに対する無知が大きく影響したものであり、今日では我々はこれらを詳細かつ科学的に説明できるのである。

関連図書

ジャン・マリニー『吸血鬼の覚醒 血には血を』ガリマール社、2010年

恐ろしい物語

カルメは、1720年にセルビアのキシロヴァで起きた出来事などを論考の中で紹介している。村人たちは、数週間前に死亡した男が村を徘徊し、何人かの首に飛びかかって血を吸うのを目撃したと主張した。総督の許可を得て遺体を掘り起こし、心臓に杭を打ち込んだ後、焼却したという。

中世の「水蛭」

カルメは吸血鬼の起源を東欧に求めた。伝説によれば、その名称はスラヴ語で「水蛭(ヒル)」を意味する。この信仰は非常に古く、心臓部分に鉄の杭が打ち込まれた中世の骸骨の発見がその証左となっている。

硫黄の臭いと鬼火

生物学的な現象以外にも、吸血鬼神話の拡散に寄与した要因がある。遺体から漂う硫黄の臭いや、墓の上で目撃された鬼火(ウィル・オ・ザ・ウィスプ)と呼ばれる謎の光などだ。加えて、疫病や天災もしばしば邪悪な存在の仕業とされ、村人たちが墓地で怪しい死体を捜索する一因となった。

吸血鬼を退治するには?

吸血鬼への恐怖から、人々は身を守る手段を模索した。東欧の農民はニンニクを首に掛けたり、子供や家畜の身体に擦り込んだりして厄払いをした。しかし伝統的に最も効果的とされた対策は、死体の心臓に杭を打ち込み、首を切り落とし、遺体を焼き尽くすことである。