キャンディ王国とは
キャンディ(Kandy)は、15世紀末から19世紀初頭にかけてセイロン(現在のスリランカ)の中央高地に存在した独立君主国で、植民地勢力に屈した最後のシンハラ王国です。セイロン最初の植民者であるポルトガル、次いでオランダによる度重なる攻撃を耐え抜き、最終的に三番目の支配者イギリスに1818年に服しました。他のシンハラ諸王国が17世紀初頭にポルトガルの手で滅ぼされたのに対し、キャンディだけはさらに2世紀にわたる粘り強い抵抗を貫いたのです。
シーターワカ王ラージャシンハの占領
1580年頃、内陸部の強国シーターワカの王ラージャシンハが中央高地のキャンディを占領し、当時のキャンディ王は亡命を余儀なくされました。以後も王位をめぐって周辺勢力の介入が繰り返されますが、王国はたびたび独立を取り戻しながら存続していきます。
ヨーロッパ列強との駆け引き
キャンディの外交戦略は、植民地支配者の交代ごとに同盟相手を切り替えるという巧妙なものでした。ポルトガル支配の時代にはオランダと手を結び、オランダ支配の時代には今度はイギリスに支援を求めたのです。しかし1796年にイギリスがセイロンの支配権を握ると、頼れる外部勢力はなくなり、キャンディは自国の力だけで生き延びざるを得なくなりました。
イギリスにとって、キャンディの独立継続は島全体の貿易網や交通網を拡大するうえでの障害とみなされました。1803年に行われたイギリス軍による第一次キャンディ攻撃は失敗に終わりますが、情勢は次第に変化していきます。
1815年キャンディ協定と王国の終焉
1815年までに、キャンディの首長たちは南インド系出身で専制的だった国王への不満を深め、イギリスの介入を歓迎するようになりました。こうして締結されたのがキャンディ協定(Kandyan Convention)です。この協定によりキャンディ王は廃位され、主権はイギリス王室に帰属しました。一方で、キャンディ首長たちの伝統的な権利は大きく温存されることになりました。
ところが首長たちはほどなくこの取り決めに不満を抱き、1817年に公然と反乱を起こします。しかし蜂起は1818年、イギリス軍によって徹底的に鎮圧されました。ここにセイロン全島は、数百年ぶりに単一の勢力の支配下に統一されたのです。
現代に残る王国の遺産
王国滅亡から200年以上が経過した現在も、キャンディはスリランカの文化的中心地として栄えています。仏歯寺をはじめとする歴史的建造物群はユネスコ世界遺産に登録され、毎年開催されるペラヘラ祭りには国内外から多くの人々が訪れます。最後の独立王国としての記憶は、今なお街の隅々に息づいているのです。