古代の歴史

カナンとは?| 定義・歴史・文化・言語から学ぶ古代パレスチナの大地

カナン(Canaan)は、歴史学や聖書文学で用いられる地域名称であり、その範囲は文献によって異なるものの、常にパレスチナ地方を中心としています。イスラエル以前の先住民は「カナン人」と呼ばれていました。

「カナン」「カナン人」という名称は、楔形文字の文書、紀元前15世紀のエジプトおよびフェニキアの文字資料、さらに旧約聖書にも登場します。これらの資料において「カナン」は、時にはパレスチナ全土とシリアを含む広大な地域を指し、時にはヨルダン川以西の土地のみを、また時にはアッコ(ʿAkko)以北の海岸地帯だけを指すこともありました。

イスラエル人は紀元前2千年紀の後半、あるいはそれ以前にパレスチナ、すなわちカナンを征服・占領しました。聖書はこの占領を正当化するため、カナンを神がイスラエル人に与えると約束した「約束の地」であると位置づけています。

カナンとは?| 定義・歴史・文化・言語から学ぶ古代パレスチナの大地

「カナン」の語源

この名称の起源については諸説ありますが、「赤紫色」を意味する古代セム語に由来し、この地域で生産された濃い緋色(クリムゾン)の染料、あるいはその染料で染められた羊毛を指したという説が有力です。

聖書の観点では、創世記においてカナン人は、ノアの孫にあたるハムの子カナンの子孫として記されています。関連項目:フェニキア。

先史時代の人類の居住

カナン沿岸における人類の居住は、旧石器時代および中石器時代にまで遡ります。エリコの発掘調査により、紀元前8000年頃にはすでに定住共同体と農耕生活が存在していたことが明らかになっています。

固定した町や村へのより広範な定住は、新石器時代(紀元前7000年〜4000年頃)に出現しました。続く金石併用時代(紀元前4000年〜3000年頃)は、土器と銅の使用、そして日干しレンガの壁をもつ粗石造りの家屋が特徴の時代でした。

青銅器時代とセム系民族の登場

青銅器時代前期(紀元前3000年〜2000年頃)に青銅が導入されたことで、冶金術の発展と彩文土器の衰退を特徴とする文化的変革が起こりました。セム系民族が初めてカナンに現れたのもこの時期です。

青銅器時代中期(紀元前2000年〜1550年頃)には、この地域で記録された歴史が始まります。北東からカナンへ侵入したセム系のアモリ人が、この時代の人口の主要な構成要素となりました。その他の侵入者としては、エジプト人と、北パレスチナから移住してきたとみられるアジア系民族の集団ヒクソスが挙げられます。また、フルリ人(旧約聖書のホリ人)も北方からカナンに到来しました。

青銅器時代後期とハピルの侵入

青銅器時代後期(紀元前1550年〜1200年頃)は、何よりもまずエジプトがカナンを支配した時代でしたが、その覇権はアナトリアのヒッタイトによって争われました。この時代はまた、「ハピル(Hapiru)」または「ハビル(Habiru)」(エジプト語:ʿApiru)と呼ばれる略奪者たちの侵入によっても特徴づけられます。この呼称は、外国出身の諸民族や社会集団に対してエジプト人が用いたものと考えられています。多くの学者は、ハピルの中に原ヘブライ人が含まれており、後のイスラエル人はその一派あるいは連合体にすぎなかったと考えています。

イスラエル人の進出とペリシテ人の侵入

紀元前13世紀の終わりまでに、エジプトによる南カナンの支配は衰え、ヒッタイトも北方からの攻撃を受けて崩壊しました。青銅器時代後期から鉄器時代初期への移行期(おそらく紀元前1250年頃)、イスラエル人がカナンに侵入し、当初は丘陵地帯と南部に定住しました。イスラエル人の浸透は、地域の有力都市を保持し続けていたカナン人によって抵抗されました。

続く1世紀の間に、カナンはクレタ島から来たとみられるペリシテ人による新たな侵略を受けます。彼らは最終的にカナン南岸に5つの都市国家からなる連合を築きました。ダビデ王(紀元前10世紀)の指導の下、イスラエル人はついにペリシテ人の勢力を打ち破り、先住のカナン人を制圧するとともに、エルサレムの街を征服することに成功しました。以後、カナンは事実上イスラエルの地となったのです。

現代に伝わる知識の源泉

カナンの歴史と文化に関する現代の知識は、考古学的発掘と文献資料の両方から得られています。主に20世紀に行われた発掘では、ベト・シェアン、ゲゼル、ハツォル、エリコ、エルサレム、ラキシュ、メギド、シェケムなど、数多くの重要なカナンの都市の遺跡が発見されました。

この地域の歴史に関する主要な文献資料は次の3つです。

  • 旧約聖書
  • シリア北部海岸の古代ウガリット遺跡で発見されたラス・シャムラ文書
  • 紀元前14世紀にパレスチナおよびシリアの都市の総督たちがエジプトの宗主国へ送った一連の書簡であるアマルナ文書

多文化が交差する芸術と宗教

カナンはいくつもの文化の十字路に位置していたため、その歴史を通じて芸術や文学には、エジプト、ミケーネ、クレタ、フルリ、メソポタミアといった多彩な要素が混ざり合っています。

カナン人の宗教について知られていることの大部分は、ラス・シャムラで発見された一連の粘土板に由来します。最高神はエルでしたが、雨と豊穣への支配権はバアル(ハダド)に委ねられていました。その他の重要な神々には、疫病と冥界の主レシェフ、神聖な職人コタル、エルの妻アシェラ、豊穣の女神アシュタルトが挙げられます。

カナン語とアルファベットの発明

カナン語は、ヘブライ語の古形と表現するのが最も適切でしょう。それは、チョーサーの英語が現代英語に対して持つのとほぼ同じ関係を、旧約聖書のヘブライ語に対して持っています。

カナン人はまた、アルファベットを使用したことが知られる最古の民族でもあります。考古学者は、ラキシュ遺跡の青銅器時代後期の地層から、フェニキア文字、ひいてはギリシャ文字・ラテン文字の祖型であると多くの学者が認める書体の一種を発見しました。さらに、ウガリットでは独特の楔形文字アルファベットが使われていたことも判明しています。ただしこれらの革新と並行して、メソポタミアの伝統的な音節文字である楔形文字も引き続き日常的に使用されていました。