はじめに
フランス共和国(République française)は、絶対王政に代わる共和制国家として誕生しました。本記事では、第一共和政の成立、対外戦争とジャコバン派の台頭、そして国是である「自由・平等・友愛」という標語の歴史的変遷までをわかりやすく解説します。
第一共和政の成立
フランス第一共和政は1792年9月に宣言され、あわせて共和暦が新たに制定されました。これにより、その年は「共和国元年」かつ「自由の4年目」と位置づけられます。翌1793年1月21日、国王ルイ16世はギロチンにて処刑されました。この処刑は、革命の模範となる事例の出現を恐れるヨーロッパ諸国による対仏戦争の連鎖の幕開けとなりました。
第一次対仏大同盟の結成
こうした「革命への恐れ」の波の中で、1793年、オーストリア、プロイセン、オランダ、スペイン、そしてイギリスからなる第一次対仏大同盟が結成されました。イギリスが参戦した背景には、経済・金融面での対立がありました。当時のフランスはブルジョワジー主導のもとで産業化の過程へと進みつつあり、両国の利害関係が衝突していたのです。
ジャコバン派の台頭と1793年憲法
戦争の続く中、市民たちは物価の高騰に苦しみ、反革命勢力の脅威におびえていました。ここに、フランス革命の理念に対する最初の危機が訪れます。そして1793年6月、マラー、エベール、ルーらに率いられたサン=キュロット(民衆)たちが国民公会を包囲し、ジロンド派の指導者たちを逮捕しました。これにより、ジャコバン派がフランス革命の主導権を握ることになります。
ジャコバン派は新たな1793年憲法を公布しました。これは歴代の憲法の中で最も民主的な性格を持つもので、経済状況にかかわらず21歳以上のすべての人々に選挙権を認める画期的な内容でした。しかしこの新憲法は、実際には施行されることはありませんでした。1793年10月、共和国の敵を裁くために革命裁判所が設置され、個人の自由が停止されたからです。
共和国の標語「自由・平等・友愛」
フランス共和国の標語は、自由・平等・友愛(リベルテ、エガリテ、フラテルニテ)という三つの言葉からなる三位一体であり、フランス国民の遺産として受け継がれています。この標語はフランス革命以前からすでに存在していましたが、ナポレオン・ボナパルトの帝政期には廃れてしまいました。
1848年の革命で標語は再び姿を現します。ただし、このときは宗教的な色彩を帯びた形での復活でした。そして1848年憲法の制定に際し、この標語は共和国の原則として正式に定められました。
その後、標語の採用は時代によって浮沈を繰り返します。第二帝政期には採用されませんでしたが、第三共和政で復活を果たしました。1880年7月14日以降、フランス政府は公共建築物の正面にこの標語を刻むようになりました。
さらに1946年憲法および1958年憲法において、「自由・平等・友愛」はフランスの国家的遺産として明文化され、現在の第五共和政に至るまで国是として掲げられ続けています。
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