古代の歴史

クリストファー・コロンブスとは?生涯・航海計画・4回の航海と論争をわかりやすく解説

クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus、1451年頃~1506年)は、イタリア・ジェノヴァ出身の航海者にして探検家です。1492年、当時「新世界」と呼ばれたアメリカ大陸の地にヨーロッパ人として初めて到達したことで知られています。

コロンブスの生涯

クリストファー・コロンブスとは?生涯・航海計画・4回の航海と論争をわかりやすく解説クリストファー・コロンブスは1451年半ばに誕生したとされ、出生地については諸説あるものの、イタリアのジェノヴァであった可能性が最も高いと考えられています。

彼は幼い頃から海に親しみ、成人後は優れた地図製作者(カルトグラファー)としても才能を発揮しました。当初は織物職人として働いていましたが、14歳の頃から船乗りとしての人生を歩み始めます。

1476年から1485年にかけての9年以上をポルトガルで過ごしたとされます。1477年にはイングランドやアイスランドへ渡航し、1478年にはリスボンとマデイラ島の間で砂糖を運ぶ交易に従事しました。

1482年にはポルトガル艦隊に加わって航海し、この経験を通じて高度な航海術を身につけています。こうした積み重ねの中で、西回りの航路という大胆な構想が次第に形になっていきました。

しかし計画はポルトガルに拒否されたため、1485年にカスティーリャへ移住します。そして1492年、パロス港から全4回ある遠征の最初の旅へ出発するまで同地に滞在しました。コロンブスは1506年5月20日、バリャドリッドでこの世を去っています。

コロンブスの航海計画

コロンブスの構想の中核は、大西洋を完全に横断してアジアへ到達し、当時の商業独占を打ち破ることにありました。

この挑戦を後押ししたのが、地球の球形をめぐる議論や、アリストテレス、ストラボン、プリニウスといった古代の著述家たちの文献です。彼らはすでにヨーロッパ、アフリカ、インドの間の距離について言及していました。

さらに、「西方に陸地が存在する」という船乗りたちの報告も有力な根拠となりました。コロンブスが拠り所としたのは、トスカネッリが作成した地図であり、ほかにも当時の航海に関する多くの著作が参考にされたといいます。

綿密な計算を終えたコロンブスは、まずポルトガル王室に計画を持ち込みましたが、相手にされませんでした。

その後、スペインのアラゴン王フェルナンド2世(1452~1516)とカスティーリャ女王イサベル1世(1451~1504)がこの計画を支持します。銀行家ら出資者の協力も得て、ニーニャ号、ピンタ号、サンタ・マリア号の3隻が提供されました。

なお、コロンブスはスペイン側との協定で約束されていた権利を受け取れないまま、生涯を閉じることになります。

クリストファー・コロンブスの発見

コロンブスの名を歴史に刻んだのは、1492年10月12日に艦隊を率いてアメリカ大陸の地に到達した偉業です。

これはスペイン王室の命令による遠征であり、いわゆる「アメリカ大陸の発見」という表現は、ヨーロッパ中心の視点(ユーロセントリズム)に基づくものである点に留意が必要です。

優れた地図製作者でもあったコロンブスは、カナリア諸島から現在のバハマ諸島にあたるサン・サルバドル島を目指して航海しました。

5週間に及ぶ航海の末にたどり着いたのは、未知の領域でした。そこには先住民族ルカヤンの人々が暮らしており、彼らは平和的で友好的だったといいます。一方、コロンブス自身は「50人の部下で征服できる」と述べていたと伝えられています。

第2次航海は1493年にはじまり、前回よりはるかに大規模な編成(大型船3隻とキャラベル船14隻、計17隻)となりました。この遠征でアンティル諸島やマルティニーク島を発見し、さらに北のプエルトリコ周辺の地域にも到達しています。

1498年の第3次航海では、6隻の船団でトリニダード島に到達しました。そして1502年、カディスを出港した第4次(最後)の航海では、ジャマイカやホンジュラス沖のピノス島などへ到達しています。

クリストファー・コロンブスとは?生涯・航海計画・4回の航海と論争をわかりやすく解説

コロンブスをめぐる論争

コロンブスの生涯研究には、いくつかの論争点が存在します。息子フェルナンドが著した『提督ドン・クリストバル・コロンの歴史(Historia del Almirante Don Cristóbal Colón)』は最重要の参考資料ですが、生涯の一部については今なお不明瞭なままです。

まず生年について、歴史学者の間で最も広く支持されているのは「1451年にジェノヴァで生まれた」という説ですが、1436年から1456年までの幅広い仮説が提示されています。

ただし、1470年10月31日付の文書には「コロンブスはすでに19歳を超えている」と記されているため、これを根拠に生年をある程度特定することが可能です。

もう一つの重要な点は、協定に基づき発見地における利益の10%をスペイン王室に要求したものの、応じてもらえなかったことです。

この問題は、相続人たちが王室を相手に長期にわたる法廷闘争を展開する「コロン訴訟(プレイトス・コロンビノス)」と呼ばれる係争へと発展しました。

結局、ジェノヴァ出身のこの航海者は1506年5月20日、55歳でバリャドリッドにて死去しました。航海で集めた黄金による富を手にしていたともいわれますが、晩年は貧しいまま過ごしたとする説もあり、見解は分かれています。

さらに、彼の遺骨が現在どこにあるのかも確定していません。ドミニカ共和国のサントドミンゴなのか、それとも現在遺骨が安置されているとされるスペインのセビリア大聖堂なのか、決着を見ていないのです。

コロンブスにまつわる豆知識

  • コロンブスの名前にちなんだ地名は数多く、国名のコロンビアをはじめ、カナダのブリティッシュコロンビア州、アメリカ合衆国のコロンビア特別区などがあります。
  • コロンブスの航海は、地球が本当に丸いことを実証したものとして広く語り継がれています(実際には、地球球体説自体は古代ギリシャの時代から知られていました)。
  • コロンブスの到達から8年後の1500年、ペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルに属する土地を視認しました。

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