冷戦は、ソ連の共産主義とアメリカの資本主義というイデオロギー対立を軸に展開された、20世紀後半最大の国際紛争です。
両大国は直接武力衝突することはありませんでしたが、それぞれの陣営が支援する形で、世界中で数多くの紛争が発生しました。
冷戦の特徴
冷戦は、第二次世界大戦の終結直後である1947年に始まったとされています。
冷戦時代の世界は、激しいイデオロギーの二極化に特徴づけられます。資本主義を経済体制として採用する国々と、社会主義を選択した国々に世界が分かれたのです。
また、両大国の間では「いつか直接対決の日が来る」という予感が生まれ、兵器の研究開発と製造に莫大な資金が投じられる軍金が投じられる軍拡競争が繰り広げられました。
さらに、他国への干渉も冷戦を象徴する特徴の一つです。資本主義陣営では、あらゆる反対運動が「共産主義」というレッテルを貼られ、アメリカによって弾圧されました。社会主義陣営でも同様に、反体制派は検閲され、デモは鎮圧されたのです。
冷戦の3つの段階
学習上の便宜のため、冷戦は次の3つの段階に分けられます。
1. 最大緊張期(1947年〜1953年):この時期、アメリカとソ連はマーシャル・プランやコメコン(経済相互援助会議)といった経済支援策を通じて、ヨーロッパの覇権を争いました。同時に朝鮮戦争が勃発し、世界は核戦争の瀬戸際に立たされました。
2. 平和共存期(1953年〜1977年):ベトナム、キューバ、アフリカ大陸などで紛争は続きましたが、いずれも管理された範囲にとどまったため、この時期は「平和共存」と呼ばれます。両大国が原子爆弾を実戦で使用することは、一度もありませんでした。
3. 再激化と冷戦の終焉(1977年〜1991年):アフガニスタン紛争が冷戦最後の武力衝突となりました。社会主義体制は資本主義体制との競争に敗れ、ソ連は同盟国を経済的に支援できなくなり、自らも西側諸国から借金せざるを得なくなりました。
なお、冷戦の段階区分については研究者の間でも意見が分かれており、4段階とする説や5段階とする説もあります。
冷戦期の主要な戦争
ここからは、冷戦中に起こった主要な紛争を詳しく見ていきましょう。
朝鮮戦争(1950年〜1953年)
朝鮮戦争の起源は第二次世界大戦にさかのぼります。当時、朝鮮半島には北側にソ連と中国が進駐し、南側はアメリカが占領しました。両者の境界線は38度線とされました。
第二次世界大戦終結後、ソ連は西側諸国が境界線を越えて南へ侵攻したと主張します。この攻撃に対し、国連はアメリカ主導の国際部隊の派遣を承認しました。
この紛争は、両超大国が自らの軍事力と政治体制の優位性を誇示する場となりました。アメリカは、共産主義と闘う国を支援すると定めたトルーマン・ドクトリンに基づいて、介入を正当化しました。
実際のところ、朝鮮戦争は「未完の対決」といえます。敵対する双方は平和条約ではなく、休戦協定しか調印していないからです。
ベトナム戦争(1955年〜1975年)
ベトナム戦争もまた、第二次世界大戦の終結とともに始まりました。
ベトナムはフランスの植民地でしたが、日本が宗主国フランスの弱体化に乗じて占領しました。
ヨーロッパでの戦争が終わると、ベトナム人はフランスに対して蜂起し、1950年にソ連の支援を受ける社会主義政権「北ベトナム」を樹立します。一方、南部は資本主義体制にとどまりました。
1954年には国家統一を問う住民投票が実施されることになり、社会主義勢力の勝利が懸念されると、アメリカは南ベトナムを支援して介入します。
ベトナム戦争は20年間続き、第二次世界大戦後最大の武力衝突となりました。アメリカは敗北し、約200万人が国外へ逃れ、数え切れないほどの民間人と兵士が命を落としました。
アフガニスタン紛争(1979年〜1988年)
1978年まで、アフガニスタンは無数の部族が共存する王国でした。ザーヒル国王は従兄にあたるムハンマド・ダウード王子によって退位させられ、王子は共和制を宣言して初代大統領となります。しかし汚職は続き、彼は暗殺されてしまいます。
共産主義者が政権を握ると、国民皆学などの改革が実施されました。しかし、宗教の禁止や農地改革の試みは失敗に終わります。各派閥が互いに争い始めると、ソ連は共産主義政権を支えるために軍事支援を提供しました。
その一方で、アメリカは反政府勢力への武装と訓練を開始します。その一人こそがオサマ・ビンラディンであり、彼はわずか20年のうちに、アメリカの盟友から宿敵へと変わることになります。
ソ連軍は1988年に敗北して撤退し、その後も内戦が続いた末、ターリバーンが権力を掌握することになります。
冷戦の終結
冷戦の終結には約2年を要したと考えられます。その鍵となる出来事は、1989年のベルリンの壁崩壊と、1991年のソ連崩壊の2つです。
ソビエト連邦は深刻な財政難に陥り、加盟国を支援できなくなりました。そこで東ドイツ(ドイツ民主共和国)は、経済問題を解決するために国民への一連の譲歩を決断します。その一つが、東ドイツから西ドイツへの国境開放の発表でした。数千人の市民が国境に殺到し、1989年11月9日、壁は崩壊しました。
同様に、ソ連もミハイル・ゴルバチョフによる政策――ペレストロイカ(再建)とグラスノスチ(情報公開)――によって、危機を乗り越えようとしました。
その施策の一つが、1991年12月8日の独立国家共同体(CIS)の創設です。しかし新たな政治的枠組みは長くは続かず、わずか数日後の12月25日、ゴルバチョフは辞任し、ソビエト連邦は消滅しました。
ソ連の崩壊により、冷戦は存在意義を失いました。地球上のほぼすべての国(北朝鮮とキューバを除く)が資本主義化したからです。
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