古代の歴史

「ダホメのアマゾネス」――アフリカ大陸に刻まれた不屈の女性戦士たちの伝説

「ダホメのアマゾネス」――アフリカ大陸に刻まれた不屈の女性戦士たちの伝説

「戦争は女性のものではない」と語る人もいます。しかし歴史を紐解けば、実際には多くの戦争に女性が参加しており、時には女性だけで編成された軍団まで存在しました。古代より名高い「アマゾネス」――女性戦士の伝説は、決して空想の産物だけではなかったのです。

「われらの母たち」――N'Nonmitonの正体

その純女性部隊こそ、「ダホメのアマゾネス」と呼ばれた戦士団です。部隊の正式名称はN'Nonmiton(ノンミトン)で、現地の言葉で「われらの母たち」を意味します。現在のベナンにあたる西アフリカのダホメ王国は、フランスの植民地主義者に屈服するまで、強大な王国として君臨していました。

誕生の謎――複数の起源譚

黒いアマゾネスの歴史は17世紀に始まります。部隊の成立についてはいくつかの説が伝えられています。

一説によれば、彼女たちはもともと象狩りの名手であり、やがて現地の王の親衛隊へと発展したといわれます。別の説では、法により日没後は男性が王宮内に留まることが禁じられていたため、ボディガードを必要とした王が、この役割を女性に委ねたのだとされます。

さらに、アマゾネスの一部は王の后、すなわち後宮の女性たちから選ばれたとも伝えられています。「アマゾネス」という呼び名自体は、西洋の探検家や旅行者たちが付けたものです。

鉄の規律が支配する戦士団

部隊に所属する女性は、結婚することも子を産むことも禁じられていました。1863年、イギリスの探検家リチャード・バートンがダホメを訪れ、アマゾネスの姿を目撃しています。

「胸を見れば女性だとわかる。だが彼女たちは筋骨隆々で、実に力強い」

こう記したバートンの言葉が、その存在を西洋世界に知らしめました。

部隊には鉄の規律が敷かれ、女性たちは過酷な訓練を積みました。痛みに耐える訓練はもちろん、マチェーテ一本だけを武器に、ジャングルで10日間のサバイバル訓練まで課されたといいます。戦場では死ぬまで戦うことが求められ、敵に対しては容赦がありません。敵兵を解体し、首や身体の一部を戦利品として持ち帰ることさえあったのです。

王国軍の3分の1を占めた女性たち

推計によれば、19世紀半ばには女性がダホメ軍の3分の1を占めていました。戦闘では彼女たちは戦列の中央に立ち、王が臨席する際にはその身を守る役割を担いました。装備はマスケット銃、木製の棍棒、マチェーテで、後にウィンチェスターライフルで武装するようになります。

興味深いことに、彼女たちが宮殿の外に出る際には、鐘を鳴らしながら奴隷が一行の先頭を歩きました。通行する男性は視線を逸らし、アマゾネスを見てはならないとされていたのです。

フランスとの戦い――勇壮な最期

1890年、第一次ダホメ・フランス戦争が勃発しました。ベアンジン王はアマゾネスを実戦に投入します。フランス兵は当初、女性に発砲することをためらいました。しかし、彼女たちの凄まじい戦いぶりを目の当たりにするうち、その躊躇は消えていきます。結局、フランスが勝利を収めるには、名高い外人部隊の介入を必要としました。

第二次戦争は1892年に始まり、1894年に終結します。女性たちは再び勇壮に戦いましたが、ダホメは敗北しました。しかし、勝利後に捕らえたアマゾネスを愛人として利用しようとした多くのフランス人男性が、ベッドの上で無残な最期を遂げたと伝えられています。

最後のアマゾネスは、1979年にこの世を去りました。屈強な戦士たちの伝説は、今もなおアフリカの歴史の中で輝き続けています。