古代の歴史

殲滅のカルスの戦い(1745年)――オスマン帝国5万人が死傷・捕虜となった完璧な勝利

殲滅のカルスの戦い(1745年)――オスマン帝国5万人が死傷・捕虜となった完璧な勝利

歴史に埋もれた大勝利

カルスの戦いは、歴史上最も重要な戦いの一つでありながら、あまり知られていない。この戦いでオスマン帝国は甚大な血を流し、深い屈辱を味わわされた。この戦闘はペルシア・オスマン戦争(1743~46年)における最後の主要な衝突であり、偉大なペルシアのシャーにして名将ナーディルによる最大級の勝利の一つでもある。

二正面の脅威と病床のシャー

1745年の夏、ナーディルは二つの大規模なオスマン軍が自国領に侵攻したとの報せを受けた。一つはカルス方面へ、もう一つはモスルへ向かうものであった。ダゲスタンの過酷な遠征の後、彼自身は重病に罹っていたが、それでも部下たちに担架で運ばれながら、二重の脅威に対峙することを決意した。モスル防衛のために軍の一部を割き、自身は約8万人を率いてカルスへ向かった。

両軍の対峙

同じ頃、北のオスマン軍を率いるイェゲン・ムハンマド・パシャは14万人の兵力を擁し、カルスから西へ移動していた。ナーディルはこれを追跡し、ジェゲヴァルドの丘に陣を張った。オスマン側のパシャはペルシア軍の陣地に接近し、敵陣から約10キロ離れた地点に要塞化された野営地の構築を命じた。

8月9日、イェゲン・パシャは全軍を挙げて要塞化された陣営を出撃し、ペルシア軍と対峙する態勢を整えた。トルコ軍司令官は4万人の歩兵(主にイェニチェリ)を中央に、各翼に5万人の騎兵を展開した。

一方、ナーディルもまた4万人の歩兵と4万人の騎兵を有していた。彼は歩兵をイェニチェリに対峙させ、その両翼を騎兵師団で掩護した。しかし、最も数が多く最良の騎兵たちは予備として温存していた。

平原上の虐殺

当時のペルシア歩兵は高度な訓練を受けていた。ナーディルはこれを活かし、イェニチェリへの攻撃を開始した。ペルシア軍は射程距離まで接近して一斉射撃を行い、その後剣を抜いてトルコ軍に突撃した。

イェニチェリも同様に応戦し、ほどなくして両軍の歩兵集団は激しい白兵戦を繰り広げることとなった。イェゲン・パシャは、質においてペルシア騎兵に劣る自軍の多数の騎兵による攻撃を試みることなく、歩兵同士の戦いの展開を見守っていた。

戦いは午後までこの様相で続いたが、ナーディルは介入の時が来たと判断した。彼は馬に乗り、精鋭騎兵の先頭に立ってトルコ軍へ突撃し、トルコ歩兵の右翼を打ち砕いた。これは、イェゲンが不用意にも右翼の歩兵と騎兵の間に残してしまった隙間を通過するものだった。

ナーディル率いる数千の決死の騎兵の猛攻は、すべてを薙ぎ払った。勇将ナーディルは敵の砲火により2頭の馬を失い、命を落としかねない危機にも瀕したが、絶妙のタイミングでの突撃は目的を達成した。トルコ軍は麻痺状態に陥った。1万5000人の騎兵隊は戦わずして逃走した。数千のトルコ兵が倒れ、残りは散々に打ちのめされて後退した。

鉄の包囲網

夜が更けると、ナーディルはそれ以上の追撃を行わなかった。しかし翌日、夜明けとともに、負傷で苦しむトルコ軍の補給路を断つために連隊を派遣した。次第にナーディルはトルコ軍の野営地の周囲に「鉄の柵」とも呼ぶべき包囲網を築き上げた。トルコ軍は脱出を試みたものの、逃れることはできなかった。

トルコ軍司令官は砲兵を大量に投入して包囲網を破ろうとした。しかしナーディルは同じ手段で応じ、より訓練されたペルシアの射手たちが容易く砲撃戦を制した。イェゲンは8月10日の夜、軍を率いて密かに脱出しようと図った。ナーディルはあえてトルコ軍に要塞化された陣営からの撤退を許したが、防御が容易ではない開けた野原で再び包囲したのである。

イェゲンとその部下たちは身動きが取れず、士気はどん底に達し、モスルへ向かうもう一つのトルコ軍からの救援を待つばかりで包囲され続けた。しかし8月19日、ナーディルはそのトルコ軍もまた壊滅したとの報せを受け取った。そこで彼はイェゲンに降伏を求めるのが妥当と判断した。ペルシアの使節が急造のトルコ軍野営地に到着すると、そこには混沌とした光景が広がっていた……。

兵士たちは反乱を起こしており、イェゲンはすでに死んでいた――自害したのか、あるいは自らの部下に殺害されたのか。そしてトルコ兵たちはペルシア人を目にするや、武器や身の回りの荷物を投げ捨て、「預言者の民よ、逃げろ!」と叫びながら無秩序に逃げ出した。もちろんペルシア騎兵はこれを追撃し、壊滅させた。

完璧な勝利

こうしてトルコ軍の完全な殲滅をもって戦いは幕を閉じた。ペルシア軍の損害は8000人で、その大多数は初日の戦闘によるものであった。対照的にトルコ軍は死者、負傷者、捕虜合わせて5万人を失った。まさに完璧な勝利であった。

殲滅のカルスの戦い(1745年)――オスマン帝国5万人が死傷・捕虜となった完璧な勝利

殲滅のカルスの戦い(1745年)――オスマン帝国5万人が死傷・捕虜となった完璧な勝利

カルスの戦い、1745年8月9日。