古代の歴史

「ここから退却はない、その場で死ね!」――「細き赤い線」伝説の誕生、逃げ出したのはトルコ兵だけだった

「ここから退却はない、その場で死ね!」――「細き赤い線」伝説の誕生、逃げ出したのはトルコ兵だけだった

戦争史に燦然と輝く伝説、「細き赤い線(ザ・シン・レッド・ライン)」。その源流となる出来事はそれ以前から存在していたが、伝説が真に花開いたのは、ある一つの戦いにおいてだった。

1854年、クリミア戦争は真っ只中にあった。10月25日、イギリス・フランス・オスマン(トルコ)軍がロシア軍と激突。序盤の小競り合いの後、砲兵の支援を受けた2,500名を超えるロシア騎兵団が、イギリス軍の戦線へと進撃を開始したのである。

小丘に立つキャンベルの旅団

サー・コリン・キャンベル率いる旅団はほどなくロシア軍砲兵の射程内に入り、甚大な損害を被った。キャンベルは麾下の兵をなだらかな小丘の上に整列させ、損害を最小限に抑えるべく、全員に地面に伏せるよう命じた。

この旅団を構成していたのは、名高い第93ハイランダー連隊のほか、散兵の中隊、近衛兵50名、そして350名からなるトルコ大隊であった。

逃げ去ったのはトルコ兵だけだった

やがて、ロシア騎兵の先頭部隊が姿を現し、その後ろには騎兵団の残りが続いた。トルコ兵はたちまちパニックに陥り、イギリス軍を置き去りにして逃走を始めた。ハイランダーの陣地を通り抜ける際、スコットランド人兵士の妻が逃げるトルコ兵を殴りつけ、「臆病者ども!」と罵倒し、手当たり次第に物を投げつけたという。

女性によるこの屈辱をもってしても、臆病者たちの逃走は止まらなかった。丘に残ったのは、ハイランダー550名と他部隊の将兵約100名のみ。圧倒的な兵力差を目の当たりにしたキャンベルは、部下に向かって叫んだ。「諸君、ここから退却はない。その場で死ぬのだ!」

わずか2列の戦列

スコットランド兵は立ち上がり、仲間とともにわずか2列の戦列を形成した。その陣形はあまりにも薄く、ロシア騎兵が猛然と突撃すれば容易く突破されただろう。だがスコットランド兵たちは、死すべき時が来たことを悟り、命を高値で売り払う覚悟を固めていた。

ロシア騎兵の先頭部隊はこの異様な光景に仰天した。しかしイギリス軍は微動だにせず、直ちに最初の一斉射撃を放った。倒れるロシア兵は少なかった。それでも残りの騎兵は怯んで後退したが、再び攻撃を仕掛けてきた。すると今度は二度目の一斉射撃をまともに受け、散々に打ちのめされて潰走した。

スコットランド兵は興奮の余り銃剣突撃を望んだが、キャンベルは間一髪、怒号とともにこれを制止した。「第93連隊! 第93連隊! その向こう見ずな熱を呪え!」と彼は叫んだ。兵士たちは足を止め、三度目の一斉射撃を放った。もはや耐えきれなくなったロシア騎兵は、本隊の方へと逃げ去っていった。

タイムズ紙記者が生んだ伝説

ハイランダーたちは歓声を上げた。彼らの「細き赤い線」はロシア軍の反撃を食い止めたのだ。伝説はここに誕生した。ロンドン・タイムズ紙特派員ウィリアム・ラッセルこそが、その「名付け親」であった。「突撃するロシア軍とバラクラヴァの間に見えたのは、銃身に鋼鉄の光を宿した第93連隊の細き赤い線のみであった」――こう書いたラッセルは、今日まで続く伝説を作り上げたのである。

その後の「細き赤い線」

バラクラヴァでの奮戦により、第93ハイランダー連隊は「細き赤い線」の名とともに、イギリス軍事史に不朽の名声を刻むこととなった。この言葉は後にキップリングの詩など文学にも取り上げられ、1998年にはテレンス・マリック監督の映画『シン・レッド・ライン』の題名にもなっている。圧倒的な兵力差を前にしても戦列を崩さなかったスコットランド兵たちの姿は、規律と勇気の象徴として、今もなお語り継がれているのである。

「ここから退却はない、その場で死ね!」――「細き赤い線」伝説の誕生、逃げ出したのはトルコ兵だけだった