※本記事には、読者に強い心理的衝撃を与える可能性のある、戦争に関する残酷な歴史的描写が含まれています。あらかじめご了承ください。

「戦争と恋においては、すべてが許される」という格言があります。しかし、その言葉をもってしても説明しきれないほどの残虐行為が、歴史の中に確かに存在します。1944年末、小笠原諸島の父島で起こった出来事は、最も病的な想像力の限界すら超えるものでした。
東京の南1000キロ、絶海の孤島・父島
父島は、東京から約1000キロ南方の海上に位置する小さな島です。当時、この島を含む小笠原諸島の日本軍守備隊の指揮を執っていたのは、立花芳夫陸軍中将でした。
未来の米大統領を救った潜水艦
1944年9月、アメリカ海軍の潜水艦「フィンバック」が、荒波にもがく一人のパイロットを発見し、ただちに救助しました。そのパイロットこそ、後のアメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュ氏です。当時20歳だった彼は、父島への攻撃任務中に撃墜されたのでした。
処刑された8人の米軍飛行士
ブッシュ氏は、小笠原諸島上空で撃墜された約100名のアメリカ人航空要員のうちの一人でした。父島攻撃に出撃した飛行士の中で奇跡的に生還できたのはごく少数。しかし、他の8人の運命は過酷なものでした。立花中将の命令により、捕虜となった彼らは斬首されたのです。
「祝宴」の夜に起きた猟奇的な行為
翌日、日本軍の将校たちは宴会を開くことを計画しました。その席で彼らは、自らの闘志を誇示するため、処刑された米兵の一人の肝臓を食べることを決めたといいます。遺体は掘り起こされ、軍医の寺木が胸を切り開いて肝臓を摘出しました。日本兵の証言によれば、将校たちは日本酒を片手に、肝臓のみならず肉の一部までも口にしたといいます。
犠牲者の一人は飛行士フロイド・ホール氏で、その肉は醤油と野菜とともに調理されました。証言によると、さらに3人のアメリカ人飛行士が同じように食べられ、残りの4人は撲殺されたとのことです。
戦時下の日本軍と食人行為
第二次世界大戦中、日本軍による食人行為は決して例外的なものではありませんでした。補給線が断たれて孤立した守備隊の一部では、飢えを凌ぐために捕虜を食べる事例が発生しています。日本側の記録によれば、将校の命令によって、部下の栄養補給のために行われたケースさえあったのです。
さらに衝撃的な証言も残されています。一部の部隊では、捕虜を家畜のように「飼育」し、「鮮度を保つ」ために手足を少しずつ切断しては、その日に食べる分だけ調理していたといいます。捕虜は少しずつ、生きたまま食されていったのです。
戦犯裁判という結末
1947年、この猟奇的な行為の共犯者たちは戦争犯罪人として裁かれました。5人が有罪判決を受け、立花中将は絞首刑に処されたのです。
この「父島事件」は長らくほとんど知られていませんでしたが、2003年に出版されたジェームズ・ブラッドリーの著書『フライボーイズ』によって広く世に知られることになりました。自身だけが救われ、仲間たちが悲惨な最期を遂げていたことを後に知ったブッシュ元大統領は、深い衝撃を受けたと伝えられています。

