古代の歴史

ローマ人とアングロサクソン人は対立したのか?実は直接衝突がなかった理由

結論:両者は正面から対立していない

「ローマ人とアングロサクソン人はなぜ対立したのか」という問いへの答えは、実はシンプルです。両者の間に大規模な直接的な衝突は存在しなかったからです。その最大の理由は、両者がブリテン島に存在した時期がずれていたことにあります。

ローマ軍の撤退 ― 西暦410年頃

ローマ帝国は西暦43年のクラウディウス帝による遠征以降、ブリタンニアを属州として約350年にわたり統治してきました。しかし、4世紀末から5世紀初頭にかけて、帝国はゴート族などの異民族の侵入や内乱に直面し、遠隔地の辺境を守る余裕を失っていきます。

407年頃には将軍コンスタンティヌス3世がブリテン駐留軍を率いてガリアへ渡り、410年には皇帝ホノリウスがブリタンニアに対して自力での防衛を指示したと伝えられます。これにより、ローマによるブリテン統治は事実上終わりを迎えました。

アングロサクソンの到来 ― 5世紀以降

一方、アングル人・サクソン人・ジュート人といったゲルマン系民族が本格的にブリテンへ移住を始めたのは、5世紀以降のことです。中世の歴史家ベーダの記述によれば、ローマ軍が去った後のブリテンでは、ピクト人やスコット人などの襲撃に苦しむ現地のケルト系(ブリトン人)支配層が、傭兵としてサクソン人を招き入れたとされています。

やがて傭兵として渡った彼らは定住し、イングランド東部・南部へ勢力を広げていきました。この過程でブリトン人との抗争は確かに起こりましたが、それは「ローマ人との戦い」ではなく、すでにローマの支配を離れていた現地民との争いでした。

時間差が生んだ「対立の不在」

つまり、ローマ軍の撤退(410年頃)とアングロサクソンの本格的な移住(5世紀半ば以降)の間には時間的なずれがあるのです。ローマ人が去った後にアングロサクソン人がやってきたため、両者が国家規模でぶつかる場面はほとんどありませんでした。

ただし、まったく接点がなかったわけではありません。5世紀以前、ローマは北海側の沿岸に「サクソン海岸(Saxon Shore)」と呼ばれる防御拠点群を築き、海賊行為を行うサクソン族の襲撃に備えていました。また、撤退直後の过渡期にはローマ式の防衛体制が部分的に残っていたとも考えられます。とはいえ、これらは局地的な襲撃への対応にとどまり、本格的な戦争ではありませんでした。

まとめ

ローマ人とアングロサクソン人が対立しなかった最大の理由は、ローマ軍の撤退(410年頃)とアングロサクソンの到来(5世紀以降)が時間的に重ならなかったことです。ローマが去った後の空白の時代を経てブリテンに入ったゲルマン系民族は、やがて七王国と呼ばれる諸王国を築き、イングランドの歴史の基礎を形作っていくことになります。