古代の歴史

1755年7月9日のフレンチ・インディアン戦争――「ブラドックの敗北」モノンガヒラの戦いとは

1755年7月9日に起きた出来事

1755年7月9日、フレンチ・インディアン戦争(1754年〜1763年)において、北米植民地史に名を残す重要な戦闘が行われました。それがモノンガヒラの戦い(Battle of the Monongahela)です。イギリス軍のエドワード・ブラドック将軍が壊滅的な打撃を受けたことから、この戦いは「ブラドックの敗北」あるいは「ブラドックの惨事」としても知られています。

モノンガヒラの戦いの経緯

遠征の目的

当時、オハイオ川流域の支配権をめぐってイギリスとフランスの対立が深刻化していました。ブラドック将軍は約1,300人規模の遠征隊を率い、フランスが建設したデュケーヌ砦(現在のペンシルベニア州ピッツバーグ近郊)の攻略を目指して進軍していました。

待ち伏せ攻撃による壊滅

7月9日、目的地まであとわずかという地点で、ブラドック隊はフランス軍およびその同盟であるネイティブ・アメリカン部隊の待ち伏せ攻撃を受けました。開けた地形での正統な戦術に慣れたイギリス正規軍は、森林での散開戦法に対応できず、大混乱に陥りながら甚大な損害を出しました。

ブラドック将軍の最期とワシントンの活躍

ブラドック将軍自身も銃弾を受けて致命傷を負い、数日後に死亡しました。将校の多くが死傷する中、当時22歳の若き士官だったジョージ・ワシントン(後の初代アメリカ合衆国大統領)が撤退の指揮を担い、残存兵力の退避に尽力したことが記録に残っています。

この戦いの歴史的意義

この敗北により、イギリス側のオハイオ地方への進出は一時的に頓挫し、フランスと先住民同盟の優位が強まりました。しかし戦争全体としては、イギリスは後に勢力を盛り返し、1763年のパリ条約によって最終的な勝利を収めることになります。また、無名の若者だったワシントンの胆力が広く知られる契機となった点でも、モノンガヒラの戦いは歴史上特筆される出来事といえるでしょう。