古代の歴史

なぜエジプト南部は「上エジプト」と呼ばれるのか?名称の由来と歴史を解説

「上エジプト(Upper Egypt)」は、エジプトの南部地域を指す名称で、ナイル川に沿って広がっています。南はアスワンから北はカイロ近郊まで及び、古代の神殿や王墓など数多くの歴史的遺産に加え、肥沃な農業地帯としても知られています。

なぜ「南」なのに「上」エジプトなのか?

一見不思議に思えますが、この名称には明確な理由があります。ナイル川は南から北へ流れ、地中海に注ぎ込んでいるため、川の上流側(=南)が「上」、下流側(=北)が「下」と呼ばれるのです。

「上エジプト」という呼び名は、古代エジプト語の「タ・シェマウ(Ta Shemau)」、すなわち「南の国」に由来します。一方、ナイル・デルタ地域は「タ・メフ(Ta Mehu)」=「北の国」と呼ばれていました。上エジプトがデルタの上流に位置していたことから、この名前で呼ばれるようになったのです。

先王朝時代から続く豊かな歴史

上エジプトの歴史は非常に古く、古代エジプトの先王朝時代(紀元前5500年頃~紀元前3100年頃)までさかのぼります。この時期、ヒエラコンポリス、アビドス、テーベといった重要な文化・政治の中心地がこの地域に栄えていました。

古王国時代

古王国時代(紀元前2686年頃~紀元前2181年頃)、上エジプトはエジプト政治の中心地となりました。この時代のファラオたちは、現在も私たちの目に触れる多くの壮大な神殿や王墓を建設しています。

中王国時代

中王国時代(紀元前2055年頃~紀元前1650年頃)になると、政治の中心は北部へと移りました。それでも上エジプトは文化・宗教活動の中心であり続け、重要な神殿や王墓が数多く造られました。

新王国時代

新王国時代(紀元前1550年頃~紀元前1070年頃)には、上エジプトは再びエジプト政治の中心地となります。ラムセス2世やツタンカーメンといった著名なファラオたちの時代に、カルナック神殿や王家の谷など、今日まで残る偉大な遺跡の多くが建設されました。

新王国時代以降

新王国時代の後、上エジプトは相対的に重要性を失い、政治の中心は再び北部へと移りました。しかし、この地域は文化・宗教の中心地としての地位を保ち続け、その後も多くの神殿や記念碑が造られました。

現代の上エジプト

今日、上エジプトは世界的に人気の高い観光地となっています。ルクソールやアスワンを訪れる旅行者は、古代の神殿や王墓、その他の歴史的遺跡を目当てに世界中から集まります。また、この地域は重要な農業地帯でもあり、エジプト経済においても欠かせない役割を担っているのです。