中世の城で働く人々の多くは「無給」だった
中世ヨーロッパの城に暮らしていた人々の大多数は、現代のような「給料」を受け取って働いていたわけではありません。彼らの多くは農奴(セルフ)と呼ばれる農民であり、土地に縛られ、城の領主に対して労働を提供する義務を負っていました。
農奴は賃金を得る代わりに、自らの生活を維持するための小さな耕地を与えられていました。つまり、労働の見返りは現金ではなく、「自給自足のための土地」という形だったのです。
農奴は自由に移動できなかった
農奴のもう一つの大きな特徴は、移動の自由がないことでした。城や領地を離れたい場合には領主の許可が必要であり、許可を得るためには費用を支払わなければならないこともありました。このように、農奴は生まれた土地からほとんど一生離れることができない、半ば強制的な身分に置かれていたのです。
賃金を得られた例外的な人々
もっとも、城に関わるすべての人が無給だったわけではありません。以下のような人々は、現金による報酬を得られる立場にありました。
- 鍛冶屋や大工などの熟練職人:専門的な技術を持つ職人は、その技能に見合った賃金を受け取ることができました。
- 騎士や貴族:軍務への従事という見返りとして、報酬や所領、恩給などを受け取っていました。
まとめ:土地と労働を交換する封建制度
中世の城に住む人々の大多数を占めていたのは、無給で働く農奴でした。しかし、熟練職人や騎士といった一部の人々には賃金や報酬が支払われていました。これは、中世の封建制度が「土地と労働・奉仕を交換する関係」を基本としており、契約に基づいて賃金を得る近代的な雇用とは大きく異なる仕組みだったことを物語っています。