古代の歴史

1619年〜1865年:アメリカ奴隷制度の歴史をたどる

1619年から1865年にかけて、奴隷制度はアメリカ史における最も暗く深刻な一章として約250年間続きました。この記事では、その時代の重要な出来事を時系列で振り返ります。

1619年:最初のアフリカ人奴隷の到来

1619年、オランダ船が20人のアフリカ人をバージニア州ジェームズタウンに運んだことが、イギリス領北米における奴隷化されたアフリカ人の最初の記録となりました。当初、彼らは年季奉公人として扱われていましたが、やがて法的に奴隷としての地位が確定していくことになります。

1776年〜1783年:アメリカ独立戦争

アメリカ独立戦争の期間中、一部の奴隷とされたアフリカ系アメリカ人は自由と引き換えにイギリス軍側で戦い、また別の人々は解放の約束を受けてアメリカ側に仕えました。しかしながら、独立革命の成功によって奴隷制度が直ちに廃止されることはありませんでした。

1793年:逃亡奴隷法の成立

1793年に逃亡奴隷法が成立し、逃亡した奴隷を所有者のもとへ返還することが義務付けられました。この法律により、自由を求める人々が奴隷制度から逃れることは一層困難になりました。

1808年〜1865年:大西洋奴隷貿易の禁止と密貿易

大西洋奴隷貿易は1808年に公式に禁止されましたが、実際には1865年まで違法な形で続けられました。この期間だけでも、推定50万人のアフリカ人が密かにアメリカへ連れてこられたとされています。

1820年:ミズーリ妥協

ミズーリ妥協では、ミズーリを奴隷州として、メインを自由州として連邦に加えることで、奴隷州と自由州の数の均衡を図りました。この妥協により南北間の緊張は一時的に和らぎましたが、奴隷制度という根本的な問題を解決するには至りませんでした。

1831年:ナット・ターナーの反乱

バージニアの奴隷ナット・ターナーが率いた反乱は、アメリカ史上最も重大な奴隷反乱の一つとされています。この反乱では約60人の白人が死亡し、ターナーおよび多くの反乱参加者が処刑されるという結果に終わりました。

1850年:1850年妥協

1850年妥協は奴隷制度問題への新たな対応策として打ち出され、カリフォルニアを自由州として認める一方で、新たな逃亡奴隷法(1850年版)を制定しました。この法律により、逃亡した奴隷を捕らえることがこれまで以上に容易になり、北部での批判を招きました。

1854年:カンザス・ネブラスカ法

カンザス・ネブラスカ法はミズーリ妥協を撤廃し、奴隷制反対派と容認派の対立を一気に激化させました。この法律は、南北戦争へとつながる緊張の高まりに大きな役割を果たしたのです。

1861年〜1865年:南北戦争と奴隷制度の廃止

南北戦争は主に奴隷制度をめぐる問題を原因として戦われました。北部諸州は奴隷制の廃止を支持し、南部諸州は奴隷制度の維持を掲げて戦いました。戦争は北部の勝利に終わり、1865年に合衆国憲法修正第13条が批准されたことにより、奴隷制度はついに正式に廃止されました。