北米初のイギリス植民地、ロアノーク
北アメリカにおける最初の恒久的なイギリス人入植地として知られるのが、「ロアノーク(Roanoke)」です。この植民地は現在のアメリカ合衆国ノースカロライナ州に位置するロアノーク島に設立されました。
最初の入植の試みは1585年8月に行われました。当時、イングランドはスペインとの対抗意識から新大陸への進出を積極的に進めており、探検家ウォルター・ローリー卿がエリザベス1世の勅許を得て植民計画を主導したことがきっかけでした。
二度にわたる入植の試み
1585年に始まった最初の入植は、食料不足や現地先住民族との関係悪化などに苦しみ、翌1586年に入植者たち全員がイングランドへ帰国する形で失敗に終わりました。
しかし計画は放棄されず、1587年7月には再び約110名ほどの入植者がロアノークへ送られました。この集団には女性や子どもも含まれており、本格的な永住拠点の建設が目指されました。実際、このときジョン・ホワイトの娘エレナー・デアが娘を出産し、彼女は「ヴァージニア・デア」と名付けられました。これは新大陸で生まれた最初のイギリス人の子どもとされています。
「失われた植民地」と呼ばれる謎
しかし、物資調達のため一時帰国していた総督ジョン・ホワイトが戻ってきたのは、それから3年後の1590年のことでした。そこで彼らが目にしたのは、もぬけの殻となった植民地だけだったのです。
家屋は解体された跡があり、入植者の姿はどこにもありませんでした。唯一残されていた手がかりは、木に刻まれた「CROATOAN(クロトーン)」という文字だけ。これは近隣の先住民族クロトーン族の名前であり、彼らのもとへ移動したことを示す合図ではないかと考えられています。
ホワイトが捜索に向かおうとしたところ、暴風雨によって船が押し流され、捜索は断念せざるを得ませんでした。以降、入植者たちがどうなったのかはついに確認されることはなく、この植民地は「失われた植民地(The Lost Colony)」として歴史に刻まれました。
歴史に残るロアノークの教訓
ロアノーク植民地は短命に終わり、その最期は今なお多くの謎を残しています。しかし、この失敗の経験は後のイギリスによる北米植民地経営にとって貴重な教訓となりました。
1607年に設立されたジェームズタウン植民地は、ロアノークの反省を活かし、北米で最初に成功した恒久的なイギリス植民地となりました。こうして見ると、消えてしまったロアノークこそが、後のアメリカ建国への道を開いた重要な第一歩だったと言えるのです。