実は、フィリピンの国民的英雄ホセ・リサール(José Rizal)は、生まれたときから「リサール」という姓を名乗っていたわけではありません。彼の出生時のフルネームは「ホセ・プロタシオ・メルカド・リサール・アロンソ・イ・レアロンダ(José Protacio Mercado Rizal Alonso y Realonda)」といいます。
このうち「メルカド(Mercado)」は父方の姓、「アロンソ・イ・レアロンダ(Alonso y Realonda)」は母方の姓です。では、なぜ彼が「リサール」という姓を名乗ることになったのでしょうか。その背景には、スペイン植民地時代のある重要な法令が関係しています。
1849年のクラベリア法令と姓の変更
スペインによるフィリピン統治の時代、1849年に当時のフィリピン総督ナルシソ・クラベリア・イ・サルドゥア(Narciso Clavería y Zaldua)は、フィリピン人に対してスペイン風の姓を採用することを義務付ける法令を発布しました。これにより、多くのフィリピン人家族が行政上の理由から新しい姓を与えられることになりました。
リサールの父フランシスコ・メルカド(Francisco Mercado)もこの法令に従い、「リサール(Rizal)」という姓を選びました。この「リサール」という言葉は、若い植物の青々とした緑や、みずみずしい野原を意味するスペイン語に由来するものです。
父の姓を受け継いだホセ
こうした経緯を経て、ホセは正式に父が採用した「リサール」という姓を名乗ることになりました。つまり「リサール」は先祖代々受け継がれてきた本来の姓ではなく、19世紀半ばの植民地政策によって生まれた比較的新しい姓だったのです。今日、この姓はフィリピン独立の象徴として広く知られています。