
サー・フレデリック・アーサー・モンタギュー・“ボーイ”・ブラウニング(1896年12月20日 – 1965年3月14日)は、イギリス陸軍の軍人であり、「イギリス空挺部隊の父」と称される人物です。第二次世界大戦中のマーケット・ガーデン作戦では、イギリス第1空挺軍団司令官および第1空挺師団副司令官を務めました。
この作戦の計画段階で彼が口にした一言、「我々は橋をひとつ渡りすぎた(A Bridge Too Far)」は、そのまま歴史に残る名言となり、後世の語り草となっています。
教育と第一次世界大戦
ブラウニングは名門イートン校に学び、その後サンドハースト王立陸軍士官学校へ進みました。1915年にはグレナディアガーズ(近衛歩兵第一連隊)の少尉に任官しています。
第一次世界大戦では西部戦線に従軍し、1917年11月のカンブレーの戦いにおける勇敢な戦いぶりが認められ、殊功勲章(DSO)を受章しました。なお、彼は1924年のシャモニー冬季オリンピックにおいて、イギリス代表として四人乗りボブスレーで銀メダルを獲得するなど、スポーツの分野でも優れた才能を発揮しています。
1932年には、後に世界的ベストセラー作家となる小説家ダフネ・デュ・モーリアと結婚し、二人の間には二人の娘と一人の息子が生まれました。
第二次世界大戦と空挺部隊の育成
第二次世界大戦中、ブラウニングはイギリス空挺部隊の創設と育成に尽力し、第1空挺師団長、さらに第1空挺軍団司令官として部隊を指揮しました。1944年9月のマーケット・ガーデン作戦では、自らもグライダーで戦場へ飛び、前線の指揮を執っています。
同年12月には、マウントバッテン提督のもとで東南アジア司令部(SEAC)の参謀長に就任し、対日作戦の指導にあたりました。
戦後の経歴
終戦後の1946年9月から1948年1月にかけて、ブラウニングは陸軍省の軍務局長(ミリタリー・シークレタリー)を務めました。その後は王室に関わる職務へ転じ、エリザベス王女(当時エディンバラ公爵夫人)の会計監査役に任命されます。
1952年にエリザベス2世が即位すると、今度はエディンバラ公フィリップの会計監査役を拝命し、1959年までその任を務め上げました。
映画の中のブラウニング
1977年公開の戦争大作映画『遠すぎた橋』では、俳優ダーク・ボガードがブラウニング将軍を演じています。同作は1944年9月のマーケット・ガーデン作戦を描いたもので、彼の有名な言葉がタイトルの由来となりました。