かつて南米アンデス地方に繁栄したインカ帝国は、外部の敵ではなく内部の対立によって大きく弱体化していました。その最大の要因となったのが、帝位継承をめぐる激しい内戦です。
継承争いが引き起こした内乱(1527年~1532年)
1527年ごろ、皇帝ワイナ・カパックの急死をきっかけに、帝位継承をめぐる争いが勃発しました。この政変は1532年まで約5年にわたって続き、帝国全体を二分する内戦へと発展します。
兄弟同士の戦い:アタワルパ vs ワスカル
内乱の中心には、皇帝の息子である二人の兄弟――北部のキトを拠点としたアタワルパと、首都クスコを支配する正統な後継者ワスカル――がいました。両者はそれぞれ強大な軍勢を率いて帝国の覇権を争い、多くの兵士と資源がこの骨肉の争いに投入されました。
内乱が帝国にもたらした深刻な打撃
- 軍事力の消耗: 精鋭部隊同士が戦い合い、帝国の防衛力が大幅に低下しました。
- 政治的分裂: 各地の指導者や民衆の忠誠心が二分化し、統一された指揮体制が崩れました。
- 経済の疲弊: 長期にわたる戦乱により、食糧生産や公共事業が滞りました。
1532年、アタワルパはついに勝利を収めますが、その頃の帝国はすでに疲弊しきっており、かつての結束力を取り戻せていませんでした。
絶好の機会をつかんだスペイン人征服者たち
まさにこの混乱の時期に、フランシスコ・ピサロ率いるスペイン遠征隊がペルー沿岸に到着します。内乱で分裂し疲弊したインカ帝国は、わずかな人数のスペイン軍に対しても効果的に抵抗できず、1532年のカハマルカの遭遇以降、急速に崩壊への道をたどることとなったのです。