アステカは、14世紀から16世紀にかけて中央メキシコで栄えた、ナワトル語を話す民族です。彼らが築いた都市国家と帝国は、前コロンブス期アメリカ大陸において最も印象的な文明の一つとして知られています。
アステカとはどのような民族だったのか
アステカ人は元々、北方からメキシコ盆地へ移住してきた遊牧民的な部族でした。やがて湖畔の島々に定着し、独自の文化と強大な軍事力を発展させていきます。彼らの言語であるナワトル語は、当時の中央メキシコにおける共通語的な役割も果たしていました。
テノチティトラン――湖上に浮かぶ巨大都市
アステカ人が最も有名な業績として残したのが、メキシコ盆地に建設された首都テノチティトラン(Tenochtitlan)です。この都市はテスココ湖の島の上に築かれ、アステカ帝国の政治・宗教・経済の中心となりました。
スペイン人征服者が到着した16世紀初頭の時点で、テノチティトランは人口20万人以上を擁する巨大都市だったと推定されており、同時代のヨーロッパの主要都市にも匹敵する規模を誇っていました。運河、堤防道路、水道橋などが整備されたその都市景観は、訪れる者を驚嘆させたと伝えられています。
優れた建築技術とエンジニアリング
アステカ人は熟練した建築家であり技術者でもありました。湖上という困難な環境の中で、彼らは次のような工夫を凝らした建造物を数多く造り上げました。
- 神殿や宮殿など、壮大な石造建築物
- 湖の水質を保つための堤防(ダム)
- 淡水を都市へ供給する水道システム
- 農作物を育てるための浮き畑「チナンパ」
ウィツィロポチトリに捧げられた大神殿
テノチティトランの中心にそびえていた最も有名な建造物が、テンプロ・マヨール(大神殿)です。このピラミッド型神殿は、太陽と戦いの神であるウィツィロポチトリ、そして雨と豊穣の神トラロックに捧げられました。二つの階段を持つ独特な構造を持ち、都市の宗教的・象徴的な中心として機能していました。
まとめ
アステカを「築いた」のは、ナワトル語を話す移住民の子孫たちでした。彼らは湖上にテノチティトランという大都市を建設し、高度な建築技術と社会組織によって前コロンブス期最大級の帝国を打ち立てたのです。現在、その遺跡はメキシコシティの地下から発掘され続けており、当時の繁栄を今に伝えています。