古代の歴史

ビザンツ帝国とオスマン帝国を滅ぼしたのは誰?両帝国の終焉をわかりやすく解説

歴史上、東地中海世界を支配した二つの大帝国——ビザンツ帝国とオスマン帝国——は、それぞれ異なる経緯をたどって滅亡しました。この記事では、両帝国の終焉に至った背景と过程をわかりやすく解説します。

ビザンツ帝国を征服したのはオスマン帝国

1453年、オスマン帝国のスルタン、メフメト2世が率いる大軍は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の首都コンスタンティノープルを包囲し、ついに陥落させました。これにより、西ローマ帝国滅亡後も約1000年間存続してきたビザンツ帝国は、ここに幕を下ろします。

コンスタンティノープルの陥落は「中世の終わり」を象徴する出来事として広く知られ、オスマン帝国はこの都市を新たな首都イスタンブールとして位置づけ、以後数百年にわたり繁栄への道を歩むことになります。

オスマン帝国を滅ぼしたのは?

一方、かつてビザンツ帝国を滅ぼしたオスマン帝国自身も、第一次世界大戦(1914〜1918年)で同盟国側について参戦し、敗戦国となりました。1918年の休戦以降、イギリスやフランスなど連合国の手によって残された領土は次々と占領・分割され、帝国は急速に崩壊へと向かいます。

しかし、この時期のトルコでは、ムスタファ・ケマル(後のアタテürk)の指導のもと独立戦争が起こり、占領軍への抵抗が続きました。その結果、1922年にスルタン制が廃止され、翌1923年にはトルコ共和国が成立。約600年の歴史を持つオスマン帝国は、新国家の誕生とともに正式にその役割を終えたのです。

まとめ

ビザンツ帝国は1453年にオスマン帝国によって滅ぼされ、オスマン帝国自身も第一次世界大戦後の1918年から1922年にかけて、連合国による占領と解体、そしてトルコ独立戦争という激動の中で姿を消しました。一つの帝国が次の帝国を滅ぼし、自らもまた歴史の波に呑まれていく——両帝国の興亡は、そんな歴史の流れを雄辩に物語っています。