古代の歴史

パンツァーイェーガー ティーガー(P)「エレファント」(フェルディナント):ドイツ重駆逐戦車の全貌

パンツァーイェーガー ティーガー(P)「エレファント」(フェルディナント):ドイツ重駆逐戦車の全貌

パンツァーイェーガー ティーガー(P)/Sd Kfz 184とは

基本諸元

国: ドイツ
種類: 自走式重駆逐戦車
乗員: 6名
武装: 8.8cm PaK 43/2 L/71 砲
装甲厚: 最小30mm〜最大200mm

寸法・重量

全長: 6.8m
全幅: 3.38m
全高: 3.0m
戦闘重量: 68t
接地圧: 1.24kg/cm²
パワーウェイトレシオ: 約9.56馬力/t
エンジン: マイバッハ HL 120 TR V型12気筒水冷ガソリンエンジン×2基(各320馬力/3,000rpm)

走行性能

路上速度: 時速20km
路外速度: 時速17km
航続距離: 150km
超堤能力(垂直障害物): 0.78m
越壕幅: 3.2m
渡河深度: 1.22m
登坂能力: 22%
就役期間: 1943年〜1944年(ドイツ軍)

開発の経緯 ― 敗者の救済から生まれた駆逐戦車

ドイツが装甲車両の制式採用前に実施した競争試作への強いこだわりには、いくつかの負の側面があった。そのひとつが、競争に敗れた側が完成間近の車両を大量に抱え込んでしまうという、避けられない問題である。

ティーガーIの開発競争でポルシェ社がヘンシェル社に敗れたとき、同社の手元にはすでに90基以上の車体がさまざまな完成段階で眠っていた。誰の利益にもならない形でこれらを廃棄するのは得策ではない。そこでポルシェは、これらの車体を流用した自走砲の設計に着手することを決めた。その巨体と強力な火力をもってすれば、恐るべき駆逐戦車になると考えたのである。

競争用に実際に完成していた試作車はわずか2台のみで、残りの車体には新仕様へ適応させるための改修が施された。ところが、採用された88mm L/71砲はあまりにも長大だったため、主砲を戦闘室中央上に配置する当初案は実現不可能となり、設計全体の見直しを余儀なくされた。

独特なレイアウトと電気式駆動系

再設計の結果、2基のエンジンは車体中央部へ移設され、戦闘室は電気伝動装置の前方、車体後部に配置された。車体後部には印象的な大きさの固定戦闘室がそびえ立ち、装甲には可能な限りの傾斜角が与えられた。

主砲はここに据え付けられたが、それでも砲身の前方への張り出しは1.22mに達した。車体は低く上面がフラットな形状で、ヘンシェル製ティーガーとよく似ており、前面装甲板の「鼻」のような突き出しが共通の特徴となっていた。

戦闘室内の居住性は良好で、右前部には車長用キューポラが設けられていた。乗降は後面装甲板に開けられた円形ハッチから行い、これは装甲に設けられた数少ない開口部の一つであった。

装甲板の継ぎ目はすべて重ね継ぎとされ、全面溶接構造を採用。足回りは左右それぞれ3組の転輪で構成され、3本のトーションバーに取り付けられていた。転輪は鋼製リムを持ち、ある程度の弾力性によって発進時の衝撃を緩和する工夫が凝らされていた。

この足回りには上部支持輪(リターンローラー)がなく、起動輪は障害物乗り越えを容易にするため前方に持ち上げられていた。2基のマイバッハエンジンはジーメンス・シュッケルト製発電機に接続され、左右の起動輪はそれぞれ電動モーターで駆動される電気式変速機構を採用。操向は油圧・空気圧モーターによる支援を受ける予定だったが、変速操作が不要なため、結果的に操縦手の負担は軽減された。

圧倒的な火力と致命的な欠陥

50発の砲弾を搭載した巨大な8.8cm砲により、エレファントは連合軍のほとんどの戦車や装甲車両を、相手が反撃できない距離から撃破することができた。しかしメーカーは、近接防御用の武装を一切装備しないという信じがたい過ちを犯していた。歩兵の肉薄攻撃を防ぐための車載機関銃1丁さえ備えていなかったのである。

この欠陥は後期改良型でようやく是正され、操縦手の隣に配置された無線手が、車体前面ボールマウント式の車体機関銃の操作を担当することになった。ただし、この機銃の射界は極めて限定されており、戦術的な柔軟性は依然として乏しかった。

クルスクの戦いとその後

驚異的な装甲厚のおかげで、エレファントは正面からの攻撃に対しては事実上無敵であった。だが、この防御力は大幅な重量増と高い接地圧という代償と引き換えのものであり、いつどこで動けなくなるかわからない不安を常に抱えていた。道路上でも不整地でも、車両を移動させる前には綿密な経路偵察が不可欠であることが、すぐに明らかになった。

参謀本部はこの高度に特殊化された駆逐戦車に大きな期待を寄せ、エレファント2個大隊が急遽東部戦線へ送られ、1943年のクルスクの戦いに投入された。エレファントは突破作戦の先鋒を務めたものの、背後から包囲され、壊滅的な損害を被ってしまった。

その後は移動トーチカとしてより慎重に運用されるようになり、東部戦線の各地域やイタリア戦線においても、その名を轟かせることとなった。