実は、ダッハウ強制収容所で亡くなった人々の多くは、ガス室などによる組織的な大量殺戮の直接の犠牲者ではありませんでした。アウシュヴィッツ=ビルケナウやトレブリンカといった絶滅収容所とは異なり、ダッハウの主目的は何千人もの人々を殺害することではなかったのです。
ダッハウは「絶滅収容所」ではなく「強制収容所」だった
ダッハウは1933年3月、ナチス政権が設立した最初の強制収容所であり、ミュンヘン近郊に開設されました。当初は政治犯を収容することが主な目的で、その後ユダヤ人、聖職者、ロマ(シンティ・ロマ)など、体制に反するとみなされた人々が送り込まれました。
ダッハウは囚人の拘束、強制労働による搾取、そして恐怖による支配を目的とした施設であり、他の絶滅収容所のように大量殺戮を専門とする装置を備えてはいませんでした。
それでも約4万人以上が命を落とした
しかし、「殺害が主目的ではなかった」ことは、犠牲者が少なかったことを意味するわけではありません。1933年から1945年までの間に20万人以上がダッハウに収容され、記録されているだけでも約4万1千人以上が死亡したとされています。
彼らの死因として多かったのは、以下のようなものでした。
- 極度の栄養失調と飢餓
- チフスなどの伝染病の流行
- 過酷な強制労働による疲弊
- 見せしめのための処刑
- 人体実験などの非人道的な医学実験
劣悪な環境こそが最大の殺人装置
つまり、ダッハウにおける死の多くは、意図的に作り出された飢え、病気、暴力、そして過酷な環境の結果だったのです。システムとしての大量虐殺装置こそなかったものの、収容者を人間として扱わないというナチスの構造的な残虐性は、ここでも数多くの命を奪いました。戦争末期には死の行進によってさらに多くの犠牲者が生まれました。