最後のエトルリア王が打倒された年
エトルリア系の支配が終わりを告げたのは、紀元前509年のことです。この年、ローマ最後の王であるタルクィニウス・スペルブス(傲慢王)が追放され、長く続いた君主制に幕が下ろされました。この出来事は単なる王朝の交代にとどまらず、古代ローマの歴史における最大の転換点の一つとされています。
タルクィニウス・スペルブスの追放
タルクィニウス・スペルブスはエトルリア人の血を引く王であり、強権的な統治によって民衆の反発を買っていました。息子による貴族女性ルクレティアへの暴行事件が引き金となり、ローマの人々は蜂起。ついに王とその一族はローマから追放されました。
ローマ共和政の樹立
王の追放後、ローマ人は二名の執政官(コンスル)を毎年選出する新しい政治体制を築き上げました。これがローマ共和政の始まりであり、「王」という存在を永久に排除する決意が、以後500年にわたる共和政ローマの根幹を形づくることになりました。
エトルリア勢力とのその後の関係
なお、エトルリアの都市クルシウム(現在のキウージ)の王ラルス・ポルセンナは、追放されたタルクィニウスの復位を支援するためローマを包囲したことで知られています。しかし包囲は失敗し、ローマは独立を守り抜きました。こうしてエトルリア人の支配は完全に終焉へと向かい、ローマは独自の道を歩み始めたのです。