「1612年にイギリス人がインドに到着したとき、ムガル王朝はすでに終わりに近づいていたのか?」——この問いに対する答えはノーです。むしろ当時のムガル帝国は、その最盛期を目前に控えた、絶頂期とも言える繁栄を享受していました。
1612年当時のムガル帝国は全盛期の手前
1612年といえば、ムガル帝国は第4代皇帝ジャハーンギールが統治していた時代です。イギリス東インド会社の船団がスワリー沖でポルトガル艦隊を破り、ムガル宮廷との通商関係を確保しようとしていたのがまさにこの年です。しかし、この出来事はあくまで一つの貿易上の接触にすぎず、帝国の権威には何ら影響を与えませんでした。
当時のムガル帝国は、豊かな農業生産力、発達した手工業、そして活発な交易網によって支えられ、世界有数の富と人口を誇る大国でした。イギリス人たちは当初、征服者としてではなく、あくまで「商人」として帝国の許可のもとで活動することしかできませんでした。
その後も帝国は栄華を極める
1612年以降もムガル帝国の勢いは止まりません。第5代皇帝シャー・ジャハーンの時代にはタージ・マハルに代表される壮麗な建築文化が花開き、第6代皇帝アウラングゼーブの治世(1658年〜1707年)には領土が最大規模に拡大しました。南亜大陸のほぼ全域を支配下に置いたこの時期が、帝国の歴史上の頂点です。
衰退が始まったのは18世紀後半から
ムガル帝国に陰りが見え始めたのは、アウラングゼーブの死(1707年)以降です。後継者たちの権力争い、地方勢力の台頭、そしてペルシアやアフガニスタンからの侵入などにより、帝国の実権は次第に失われていきました。
18世紀後半になると、皇帝の権威は名ばかりとなり、実質的な統治は各地の諸侯や、プラッシー戦役(1757年)以降台頭してきたイギリス東インド会社の手に移っていきます。こうして見ると、イギリス人の到来からムガル帝国の衰退までには、実に150年以上の歳月が流れているのです。
まとめ
1612年のイギリス人到着時点で、ムガル王朝は終焉どころか、これから黄金時代を迎えようとする強大で繁栄した帝国でした。帝国が本格的に衰退するのは18世紀後半のことであり、両者の間には長い時間の隔たりがあることを理解しておきましょう。