フロッデンの戦い(ブランクストンの戦い、ブランクストン・ムーアの戦いとも呼ばれます)は、1513年9月9日にスコットランド軍とイングランド軍が衝突した歴史的な会戦です。この戦いの背景には、複数の重要な要因が絡み合っていました。
永久平和条約と政略結婚の破綻
1503年、スコットランド王ジェームズ4世は、イングランド王ヘンリー7世との間で「永久平和条約」に調印し、その一環としてヘンリーの長女マーガレット・テューダーと結婚しました。しかし、ヘンリー7世の死後に即位したヘンリー8世は対仏政策へと路線を転換し、条約は次第に形骸化していきました。両国の友好関係は崩れ、国境での緊張が高まっていきました。
イングランド王位僭称者への支援
それ以前から、ジェームズ4世はヘンリー7世の治世下でイングランド王位を僭称したパーキン・ウォーベックを支援していました。イングランド側は、自国の潜在的な敵対者を後押しするスコットランド王の動きを、王権に対する重大な脅威とみなしていました。この確執は両国関係に深い亀裂を残すことになりました。
イングランドのフランス侵攻
1513年6月、ヘンリー8世はヨーロッパ規模の紛争である「カンブレー同盟戦争」の一環としてフランスに侵攻しました。スコットランドとフランスの間には古くからの軍事同盟(オールド・アライアンス)が存在し、フランス側はジェームズ4世にイングランド攻撃を促しました。イングランド軍の主力が海外に遠征している絶好の機会とみたジェームズ4世は、北イングランドへの侵攻を決断します。
ベリックとノーラム奪還の狙い
スコットランドにとって、かつてイングランドに占領されたベリックやノーラムといった国境地域の奪回は長年の悲願でした。ジェームズ4世は自らの権威を内外に示すとともに、本来スコットランドに属すると考えられる領土を取り戻そうとしていたのです。
戦いの帰結
こうした複数の要因が重なり、スコットランドとイングランドの緊張はついに全面戦争へと発展しました。1513年のフロッデンの戦いにおいて、スコットランド軍は壊滅的な打撃を受け、国王ジェームズ4世自身も戦死するという悲劇的な結末を迎えました。この戦いは中世スコットランド史における最大級の惨事として記憶されています。