古代の歴史

インド分割はまさに「狂気」だった――マウントバッテンの警告とガンジーの苦渋の決断

1947年3月、最後のインド副王となったマウントバッテン卿は、国民会議派とイスラム連盟の指導者たちとの協議を重ねた末、一つの結論に達した。インド分割はもはや避けられない、というものである。パキスタンをムスリムに与えなければ、両勢力は永遠に争い続けるだろう。そこで彼はインド分割案を作成し、本国イギリスのアトリー政権へと送付した。

マウントバッテンが遺した警告――「分割はまさに狂気」

分割案とともに、マウントバッテンは次のような一通の手紙をしたためた。

「分割はまさに狂気である。この信じがたい国内暴動が一人ひとりを野獣のように変えていなければ、分割に代わる道が一つでも見出せる状況にあったなら、世界中の誰も私にこの狂気を受け入れさせることはできなかっただろう。この狂気じみた決断の全責任がインド人自身の肩にかかっていることを、世界は明確に理解すべきである。なぜなら、インド人自身がその決定を深く後悔する日が、必ずや訪れるのだから」

ここには一つの皮肉が潜んでいる。マウントバッテンが多大な苦労の末に分割へと説き伏せたインドの指導者たちこそが、今度はマウントバッテン自身の手によって分割の責任を問われることになったのである。彼の報告書の中で「インド人」という言葉ではなく、「連盟の指導者たち」という表現が使われるべきだったのではないだろうか。

ガンジー、パテールとネルーの転向を知る

1947年3月31日、ガンジーはマウントバッテンと会見した。その際、サルダール・パテールとジャワーハルラール・ネルーまでもが分割支持へと回ったことを知り、ガンジーは深く悲しんだという。副王との会見を終えた後、マウラーナー・アブル・カラーム・アーザードがガンジーを訪ねた。このときの様子を、アーザードは著書『India Wins Freedom(インドは自由を勝ち取る)』にこう記している。

「私はすぐに彼のもとへ向かった。するとガンジーの第一声は皮肉だった。『分割はもはや現実の脅威となった。ヴァラブバーイーはもとより、ジャワーハルラールさえも屈したようだな。君はこれからどうするつもりか? 私を支持してくれるのか、それとも君も変わってしまったのか?』」

アーザードはこう答えたという。

「私は一貫して分割に反対してきましたし、今も反対です。今日ほど強く分割に反対したことはかつてありません。しかし、ジャワーハルラールやサルダール・パテールさえも敗北を認め、あなたの言葉に武器を捨てたのを見ると、残念でなりません。私の希望は今やあなたお一人にかかっています。あなたが分割に立ち上がって反対すれば、まだ間に合います。あなたまで賛成するなら、インドは破滅してしまうでしょう」

「私の死体の上で行われることになる」

これに対するガンジーの答えは、力強いものだった。

「君もなんという質問をするのだね。もし国民会議派が分割を受け入れるなら、それは私の死体の上で行われることになる。私が生きている限り、インドの分割に決して同意しない。そして私の支配下にある限り、会議派にそれを承認させることさえ許さない」

しかしアーザードの回想は、その後の急転を物語っている。

「……その日の後刻、ガンジーはマウントバッテン卿と会見した。翌日にも会い、さらに4月2日にも再び会った。最初の会見から戻るとすぐに、サルダール・パテールが彼に近づき、密かに2時間もの間話し続けた。この密談で何が交わされたのか、私は知らない。しかし、再びガンジーに会ったとき、私はかつてないほどの衝撃を受けた。彼自身も変わってしまったのを見たからだ」

ガンジーが変わった理由――撤回された「ジンナー案」

なぜガンジーも変わり、分割賛成へと傾いたのか。アーザードはこの点について次のように説明している。国家の統一を守るため、ガンジーはマウントバッテン卿に対し、ジンナーに政権樹立を認め、閣僚の人事も彼に一任してはどうかと提案したのである。マウントバッテンはこの案を評価したが、ネルーとパテールの両名が強硬に反対し、結局ガンジーは提案を撤回せざるを得なかったという。

アーザードはこうも書き残している。

「ガンジーはこの件に触れながら、状況からして分割は避けられないように思える、と私に語った」

マウラーナー・アブル・カラーム・アーザードは、サルダール・パテールの影響によってガンジーは分割に抗しきれなくなり、ついには賛成者へと転じたのだと見ていたのである。