「ミノア人は紀元前1450年頃にクノッソスを放棄した」という説は、実は考古学的な裏付けがありません。むしろ、クノッソスのいくつかの地区は紀元前1375年頃まで継続的に居住されていたことが確認されており、都市全体が陥落したのはその時期だと考えられています。
放棄ではなく、緩やかな衰退の道をたどった
クノッソスの衰退は突発的な出来事ではなく、数百年にわたって徐々に進行しました。最初の大きな打撃となったのは、紀元前1700年頃に発生した大地震です。この地震により、クレタ島にあった主要な宮殿群はすべて破壊されました。
度重なる地震がミノア文明を弱体化させた
その後も地震はクレタ島を繰り返し襲いました。紀元前1600年頃、そして紀元前1450年頃にも再び大規模な地震が発生し、そのたびにミノア人の建造物は深刻な被害を受けました。被災と復興を重ねるうちに、都市の構造も社会基盤も次第に脆くなっていったのです。
紀元前1375年頃の最終的な陥落
こうして弱体化したクノッソスは、紀元前1375年頃に外部勢力による侵略、あるいは大火災によって崩壊したと考えられています。つまり、ミノア人が自発的に都市を見捨てたのではなく、自然災害による国力の低下が侵略への扉を開いてしまったというのが、現在の考古学における有力な見解です。
まとめ
クノッソスの滅亡は単一の出来事ではなく、約300年にわたる地震の繰り返し、それに伴う社会の疲弊、そして最終的な外部勢力の侵攻という複合的なプロセスだったと言えるでしょう。「放棄」というより、「守りきれなかった」歴史として理解するのが適切です。